「海には行けないの」
8 コンブ
「卵ドロボー!!」と叫ぶか否か迷って、結局は叫ばずに追いかけた。
とにかく全力疾走。
しかし、なんたることだ!
折角、「裏しょうが焼き定食の皿を軒並み裏返して出す」という名案を思い付き、「してやったり」となるはずだったのに!
なぜか、あの男は卵が付いてくることを知っていたし、更には、それだけ持って逃亡するなどという奇行に走った。
さすが、阿呆でおかしな大学生だけのことはある。
と、納得している場合ではない。
お金は貰ってるから、どうしようとあの男の勝手だが、追い掛けずにはいられなかった。
でも、なんだか、なんだか、無性に悔しかったのだ。
だって、生卵が付いてくるって事を知ってるってことは、やはり、波野さんと並々ならぬ関係であることは間違いがないんだもの。
‥‥否!
大丈夫、きっと、それも心優しい波野さんが阿呆でおかしな大学生を哀れに思い教えてあげたのだろう。
多分。
絶対。
いや、そうに違いない!
しかしながら、全然、追い付けなかった。
最初だけは粘ったが、体力が持たない。
ヤツは、腰に付けたたくさんの鍵を騒々しく鳴らしながらずんずんと走って行った。
商店街の路地に入って姿が見えなくなったヤツを追いかけるには、その音を頼りにするしかなかった。
しかし、その音も途中で消えて、俺は完全にあの阿呆を見失った。
「ちくしょう、阿呆の分際で!」
息を荒くしながら、立ち止まった瞬間、俺はすぐに冷静になった。
「やっべ!!」
開けっ放しにしてきた店の事を思い出したのだ。
俺は全力疾走で来た道を、全力疾走で戻った。
泥棒とか入っていたらどうしよう。
いや、その前に、マキガイさんが帰ってきてたらアウトだ。
店を空けていたなんて事が知れたら、俺みたいなフリーター、すぐに首を切られるぞ。
早く戻らねば!
店の目の前でマキガイさんに会った時は死ぬかと思うほど、ドキリとした。
「お、どーしたよ」
汗だくの俺を見てマキガイさんが言う。
「あ、え?あ、あの、ひ、酷いお客さんが居たもんで、追いかけていたんですよ。全く、困ったもんですよ」
「何か、不味いことでもあったのか?」
「いや、大したことではないんですけどね‥‥おや、マキガイさんこそ、その自転車どうしたんですか?」
「あ、え?あ、あぁ、これな。パチンコの景品だよ。良いだろ?」
「すごいっすね。パチンコって自転車ももらえるんすね?で、その、かごの中で大量に渦巻いてるのは何ですか?」
「あ?か、鍵だよ。チェーンのロック。ほら、物騒だからよ、この商店街もよ、盗まれないようによ」
そう言うマキガイさんの台詞で、阿呆でおかしな哀れ大学生の奇行を思い出した。
確かに、この商店街は物騒である。
「とにかく、店に入りましょうか」
俺はそう言って店に入った。
テーブルの上に置きっ放しになっている、裏返った裏しょうが焼き定食を指差して、俺は大袈裟に身振って、手振った。
「これ、見てくださいよ!しょうが焼き定食を出した途端に、皿をひっくり返して走り去ったんですよ!ひどくないですか?」
「こりゃ、ひでぇな。‥ん?この味噌しか入っていないお椀はなんだ?」
「あ、‥‥あぁ!それも嫌がらせですよ!注いであった味噌汁を全部飲み干した後で、ポケットから味噌を出して、入れたんですよ。ひどくないですか?」
「ポ、ポケットから味噌!?そいつぁ、おかしなヤツだな」
「えぇ。大いにおかしなヤツでした。ついでに阿呆で、もはや哀れでした」
そう言いながら、俺はレジに置いてある二千円をポケットへねじ込んだ。
ついでに、レジの中のお金を確認する。
よし。
泥棒には入られていないようだ。
俺は胸を撫で下ろした。
「まぁ、とりあえず、片付けちまえよ。縁起が悪いからよ」
マキガイさんはそう言うと、入り口から出ていった。
多分、パチンコの景品でもらった自転車を店の裏に持っていくんだろう。
マキガイさんの自宅はこの「しおさい」の二階にあって、裏に玄関があるのだ。
俺は、裏返った裏しょうが焼き定食を片付けた。
あぁ、こんな日は波野さんのあの笑顔を見て、癒されたいものである。
だが俺はふと思い出してしまう。
あの素敵な笑顔をあの阿呆にも見せたかと思うと、ため息が出た。
安心しろ。
自分に言い聞かす。
全てのものには裏がある。
例え、波野さんがあの阿呆に素敵な笑顔を見せたとしても、それは哀れみである。
哀れみ故のそれである。
俺は、そう、納得した。
その時であった。
店の裏から「無いーーっ!!!!」と言うマキガイさんの叫び声が聞こえたのは。
「海には行けないの」-8-
2013.8.19
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