「海には行けないの」

 

16 コンブ

波野さんを探していた。
とは言っても、俺は波野さんのことを何も知らないから、ふらふらと商店街をさ迷うだけであった。
さ迷った果てに、波野さんと偶然ばったりと会うのだ。
運命だ。
そう、俺と波野さんは運命の延長線上にいるのだ。
しかし、それは希望的観測にすぎない。
どうしたものか。
次に波野さんが店に来るまで待つ、という手もある。
しかし!
しかし、待っていられるか!
そんなことをしてる間にも、着々と夏は終わりに向かう。
悠長なことは言ってられない。
手中にある『でくのぼう漂流記 第5巻』を、早々に波野さんに渡して、海へ向かわなければ!
油断していると、あっという間にクラゲが蔓延る。
そうなってからでは、海水浴どころではない!
そんな思案をしながら、俺は、夕方過ぎで少し賑わう縦長の商店街を何度も往復をした。
しかし、一向に波野さんに会わない。
「そりゃそうだろ」と呟いてしまう程、自分でもその行為が無駄なことは分かっている。
分かっているが、そうしないわけにはいかない。
早く渡したい。
海に行きたい。
波野さんと。
波野さん。
あぁ、波野さん。
俺から言えるのは、それだけだ。

 

縦長の商店街を何往復したか分からないが、陽は落ちなかった。
まだ明るい。
「おい、君。いつまで、往復に往復を重ねるつもりだい?」と、自分に問いかけた時だった。
少し先に、自転車に乗ったマキガイさんを見付けた。
今日、パチンコの景品でもらったという自転車に乗っている。
「マキガイさん!」と声を掛けようと思ったが、止めた。
だって、おかしいのだ。
夜の営業があるはずなのに。
「定食屋しおさい」は、夜9時まで営業している。
今日だって、普通に営業のはずだ。
どうなっている。
何か急な出来事だろうか。
俺は気になって、マキガイさんを見ていた。
すると、マキガイさんは自転車を降りて引いたまま、こそこそと商店街の路地に入っていった。
なんだ?
興味を持った俺はそのまま、追ってみる。

 

少し距離あけて見ていると、マキガイさんは前方の様子を伺いながら、終始こそこそとしていた。
前方に何かあるのか?
ここからじゃ見えない。
体勢を低くして、自転車をゆっくりと押し歩くマキガイさんは、スパイのようであった。
スパイ?
え?

「全てのものには裏がある」

ま、まさか。
スパイだったのか?
待てよ。
そう思えば、思い当たる節は無きにしもあらず。
だって、昼時が終わった後、マキガイさんはパチンコに行くが、俺は実際にマキガイさんがパチンコを打っているところを見たことがない!
あれは、もしかして、スパイの打ち合わせをする時間なんじゃないのか?
それに、だ。
あの野良猫のトラも怪しい。
いつの間にか頻繁に見かけるようになったが、あれは、もしや喋れる猫なのか?
諜報員ということか。
でなければ、あんにド派手な皿で餌を食うわけがない!
そして、あの自転車だ。
景品だと言ったが、かごの中でぐるぐると渦巻いていた大量のチェーン型の鍵。
いくらこの商店街が物騒だからって、たかが自転車にあんなに鍵を付けるつもりでいるなんて、おかしい。
それに何よりも、景品のくせに新品ではない。
うん。
おかしい。
おかしいにも程がある。
あれは、ただの自転車なんかじゃない。
ある時は武器になり、ある時は空を飛び、ある時は土を掘り、ある時は水中を行き、ある時は土を耕し、ある時は種を撒き、ある時は野菜を作る。
きっと、スパイの行動を救う万能機器に違いない。
そして、そんなマキガイさんは今、危険な任務の途中という訳だ。
そういう事か。
それならば、開けるはずの店を開けていなくても納得がいく。
納得がいったついでに、俺はこのままマキガイさんの跡を付けることにした。

 

 

「海には行けないの」-16-
2013.8.27

海には行けないの 16