「ロール」

 

ロール13

店長に言いました。
「明日から、朝のバイト出れなくなるので、夕方に回してもらってもいいですか?」
店長はOKを出してくれたので安心です。
でも一つだけ心残りがあります。
とは言っても、全てを手に入れることなどできるはずもないので、私はしばらくその淡い寂しさを引き摺る事にします。

 

やりたいことができるというのは、大抵の場合、多大な犠牲が付き物です。
「それでもやりたい」という気持ちが先攻したその時、それを成し遂げるために何かを犠牲にする事が常です。
それはお金であったり、時間であったり、人間関係であったり、色々です。
だけど、人は言うのです。
そんなときのためのタイギメイブンがあるのです。
「人生は一度きり」
この言葉を聞くとなんだか後戻りできなくなる気がするのです。
なぜでしょうか。
「一度きり」という言葉は、迷いがちな私たちの背中を押すのに十分な力を持っています。
その力に実際に背中を押された人たちが日々を生きるのです。
笑うのです。
泣くのです。
夢を追うのです。
私もそうなのです。
全てに当てはまります。
笑って泣いて夢を追っています。
そして、最近私は夢を掴みつつあります。
だけど掴みつつある今になっても、迷いはあるのです。
多分、私たちは「才能」と言う言葉の上で踊るのが好きだからです。
でも「好きが高じて・・・」というようにはいきません。
才能は未来や運命などと同じで、目には見えないので推し量ることが難しいのです。
それなのに、夢を追うにはその評価が必要なのです。
だから私たちは才能という言葉の上で踊りたい放題です。
才能がある。
才能がない。
天才。
凡人。
そこで踊っているうちに、分からなくなるのです。
自分には一体、どこに他人との違いや抜きん出た所があるのだろうかと。
でもその違いに気付いたところで、9割9分3里くらいの割合で、落ち葉が木から落ちるとき、それぞれ同じ落ち方をしないという程度の違いでしかないのです。
その程度の違いなのに私たちは十分気持ちよく踊れるのです。
そして、さらにそこに介入してくる「運」という目に見えないものもあります。
私たちは目に見えないものに囲まれ過ぎなのです。
もう私には分かりません。
結局、あのタイギメイブンに戻るのです。
「人生は一度きり」なのだから、とりあえずやるだけやろうよ。と。
そういう騙し騙しの先で私は夢を掴みかけている訳ですが、やはり迷いは拭えないのです。
だけど、それを拭い去ってくれそうな要素に気付いたのです。
それはなんともない日々に落ちていたのです。

 

朝のバイトに出れなくなる事を告げたのち、私は店長に言いました。
「そのうちバイト自体辞めるかもしれません」
事情を知っている店長は「良かったね」と言ってくれました。
私はそのあと、淡い寂しさを抱えて「遅刻さんメイゲンノート」を読むのでした。

 

 

「ロール」-13-
2013.11.30

ロール 13
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