『頭上のライク』

 

3

忘れていた。
起きて、洗面所に行くまで忘れていた。
頭上の数字の事だ。
何の気になしに顔を洗って、タオルで拭いて、鏡を見たときだ。
ハッとさせられた。
199。
その数字が見えた。
あぁ、そうか。
あれは夢ではなかったか。
それにしても。
それにしても、減っていなくて良かった。
現状維持は大事だ。
だが、「増えているかも」という淡い期待が裏切られたのは言うまでもない。

 

とりあえず、数字が減っていないことに安心しながらリビングに行き、テーブルの上に置いてある、目玉焼きとソーセージ、それからトーストを食べた。
彼女が仕事に行く前に用意してくれたものだ。
本当にできた女だ。
そう思った瞬間、「あ、」と思う。
彼女の頭上の数字が増えたはずだからだ。

 

スーツに着替えながら、僕は自分の頭の上の数字が気になっていた。
減ってないだろうか。
そればかりが気になる。
こんなんじゃ、仕事も手につかない。
オフィスワークだが、いちいちトイレに立つわけにもいかないし。
だが、そんな心配とは裏腹に、楽しみでもあった。
それは、同僚や後輩、それから上司の頭上の数字かどんなものか知れるからだ。
せめて、僕の数字が平均的な数字であることを願う!

 

「平均」という点について言うと、会社に着く前に分かった。
駅や電車内で分かったのだ。
そんなこと、すっかり頭に無かったから、駅や電車での人混みであの数字を見たときはびっくりした。
なんじゃ、こりゃ!って。
本当に色んな数字があって、1桁の人も少なくなかった。
そんな人は、なんだかじっと見てしまうけれど、外見がすこぶる悪いというわけでもない。
見た目じゃ分からない何かがあるんだろうと、僕は勝手に解釈をした。
1桁の人はいたけれど、1000を越えた人はいなかった。
その時僕が見た一番大きな数は、831だった。
どんな人か見たかったが、残念ながら、頭しか見れなかった。
そんな感じで分かった平均は大体、250。
要するに僕は低いわけだ。
平均より。
それから、僕の彼女はすごい。
あと、あのおっさんはもう神様レベルだ。
なんだか複雑な気持ちで会社のある駅に降り立ち、ホームを歩いていると僕と同じ199の人を数メートル先に発見した。
いや、待てよ、ここまで来る間に僕の数字は減っているかもしれないから、同じだとは言い切れない。
だがしかし、同じくらいのレベルには変わりがない。
ボクシングで言うと、同階級みたいなもんだ。
どんなやつだろうか。
気になって、足早に歩いた。
改札を出てもその人は同じ方向に歩いた。
あと二、三歩で追い付ける。
そこまできて僕は、「おや?」と思った。
まさか。
嘘だろ。
そんな気持ちになった。
僕はその人と距離を詰める。
並ぶ。
追い越し際、振り返る。
目が合う。
やはり。
「おはよ!」
そいつは、両眉を上げて言った。
残念だ。
僕はすごく残念な気持ちになる。
両眉を上げたそいつは、僕の同僚で同期。
僕とそいつは、週2回、「会社の愚痴を言うためだけの飲み会」という負のオーラにまみれた会を開催する関係だ。
つまり、仲が悪いわけではない。
いや、仲良くしてあげている関係だ。
だから、本当に残念だ。
こいつにだけは勝っていたかった。
というか、勝っていると思っていた。
類は友を呼ぶとは、こんなところでも使えるのか。
こうなると、僕は、今すぐにでも自分の頭上のリアルタイムな数字が知りたくなった。
早く会社に行って、トイレに直行しよう。
「お、急いでんのか?」という彼の言葉を背中に受けながら、僕はすたすたと会社に向かった。

 

トイレにいた。
会社の。
鏡を前にした僕は安心していた。
頭の上の数字が、199から変わっていなかったからだ。
少なくとも、同期のあいつには負けていなかったわけだ。
僕は髪型をさささと直して、自分のデスクへ向かった。
デスクに着く前に憧れのハナオカさんに「おはよ」と言われる。
彼女は僕が所属する部署で一番の美人だ。
年は僕の2つ上。
「おはようございます!」と僕は笑顔で答える。
そして、なんと、今日も美人な彼女に「あ、そのネクタイ、お洒落」と笑顔で言われた。
言われた。
言われたわけです。
そりゃもう、気になった。
頭の上の数字が。
気になって気になって、もう、すごく気になって、普通に自分のデスクに着くわけにも行かず、今来たルートを戻ってまたトイレへ向かった。
その道中とても期待した。
今ので僕の頭上の数字は200になっているわけだ。
それで、勝てるわけだ。
同期のアイツに。
なんか笑ってしまった。
ニヤリと笑ってしまった。
だけど、トイレの鏡に映った数字は199のままだった。
なんだと!?
持っていたハンカチで鏡を拭いてみたりしても、やはり199。
あれは、彼女のあの言葉は、「気持ちのこもってない社交辞令」とでも言うのか。
嘘だろ。
そんな。
僕は肩を落とした。
…ちょっと待て。
こんな風に期待と絶望が繰り返されるのか。
その度に僕はトイレで肩を落とすのか。
ダメだ。
まだ仕事も始まっちゃいないのに、こんなんじゃ、思っていたよりも仕事にならない。
何か良い手はないだろうか。
考えた。
考えながらデスクに向かった。
せめて、「今すぐに自分の頭上の数字が知りたい」という衝動の度にトイレに行くのは避けたい。
このままでは、トイレにデスクを置いた方が良いくらいだ。

デスクに着いて、荷物を置きながら、思い付く。
つまり、鏡があればいいわけだ。
デスクに。
あとで、手鏡でも仕入れに行こう。
名案を思い付いた頃、オフィスの入り口の方で、「あ、ハナオカさん、おはようございます!」と言う声が聞こえた。
憧れのハナオカさんに話しかけるこの声は、アイツだ。
同期のアイツ。
僕はそっちの方を見た。
ハナオカさんとアイツが向かい合ってる。
ハナオカさん、そんなヤツの挨拶なんて無視してください。
そんな僕の願いは叶わない。
ハナオカさんは無視するどころか「おはよう!あ、今日のネクタイ、素敵ね!」と言うではないか。
だがしかし、それだけならまだ良かった。
まだ良かったんだよ、それだけなら。
少し離れているせいか、コインが加算されるような音こそ聞こえなかったが、ハナオカさんのその発言でアイツの頭上の数字が199から200から変わったのだ。
なんてことだ!
僕へのアレは社交辞令で、アイツへのあの言葉は、心がこもってると言うのか…。
ショックを受ける僕の元へアイツがやってきた。
「おーい、何でさっき無視して行っちゃうんだよ」
へらへら笑いながら言う。

 

200と199の差は1。
だけどその1の差は大きい。

 

僕は思った。
心から思った。
「こいつ、本当にうざいな」
するとどうだろう。
彼の頭上の200はたちまち199になったのだ。
そこで僕は言う。
笑顔で言う。
この朝一番の笑顔で。
「おはよう、友よ」

 

 

『頭上のライク』-3-
2014.6.24


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頭上のライク 3
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