『頭上のライク』
12
僕はその夜、失礼なことを承知で、とても詰まらない顔をして、その席に座っていた。
もっとも、目の前に座るのは同期のアイツだから失礼なことなど何一つないのだが。
ハナオカさんの衝撃的な言葉を聞いた翌日だ。
まだ24時間くらいしか経っていないなんて信じられない。
あれは、はるか遠い昔の出来事にしか思えないし、そう思いたい。
だが、それは「昨日」とかいう至極簡単な言葉でカテゴライズ出来てしまうほど最近の出来事だ。
信じたくない。
信じたくない。
僕は今朝、起きたときに、ハナオカさんの告白や、僕の彼女の頭上の数字のことを「あぁ、全て夢だったのか」と思った。
しかし、そんな訳はあるわけがない。
現実社会では基本的に「夢オチ」なんていうものはない。
あれは架空の世界の収拾のつかないそれをまとめるための手法に過ぎない。
僕たちはただ現実に対して「夢オチ」であったらいいのにと、望むだけの存在だ。
「行ってくるね!」と曇り空を晴らすような陽気さで、僕の彼女は言った。
その頭上の数字はやはり、昨日のそれで、なんなら、3くらい増えていた。
僕はげんなりと「いってらっしゃい」と彼女に言う。
彼女はそれを聞いてか聞かずか、やはり陽気に「はーい!」と言って、出ていった。
ハナオカさんにしても、僕を落胆させるのに一役買った。
朝、いつも通り、コピーを取っているハナオカさんに出くわす。
彼女は僕に気付くと、「あ、おはよ!昨日はありがとね!」と、今まで見たことの無い、いたずらっ子みたいな笑顔を咲き誇らせる。
僕はその笑顔を見て悟る。
あぁ、僕は彼女と男女の関係ではなく、「ただの秘密の共有者」になったのだな、と。
だがしかし!!
可愛い!!
なんて可愛い笑顔なんだ!!
チャリーン。
ハナオカさんの頭上の数字が増えた。
僕は今日という一日をどうやって過ごしたのか覚えていない。
多分、適当にパソコンと戯れたんだろう。
多分、適当に昼休憩を取ったんだろう。
多分、適当に午後もパソコンと戯れたんだろう。
そして、夜である。
同期に「昨日さ、奢ってくれるって言ったよな!?」と誘われるがままに、大衆的な居酒屋にいる。
いつもの僕であれば、そんな同期の誘いなど木っ端微塵に断った事だろう。
しかし、その気力が無かった。
僕はもう色んな意味で空っぽであった。
会社の憧れの存在であるハナオカさんに勝手に抱いていたよく分からない期待が木っ端微塵に砕かれ、最愛の彼女にも、深い劣等感を抱かなくてはならなくなった。
僕はなんてちっぽけなんだろうか。
もう、消えてなくなりたい。
そっとしておいてくれい。
しかし。
しかし、なんだこれは。
なぜ、目の前に同期のコイツがいる!!
なんだこれは!
ちきしょう!
僕はただそっとしておいて欲しいだけだぞ!
なんだってんだ!
なんだって、僕の目の前にお前がいるのだ!
ちっとも辻褄の合わない怒りが僕を飲み込んだ。
その辻褄の合わなさ加減は僕が一番分かっていた。
分かっていたが、この怒りに乗っからないとやっていけないような気がした。
「おい、いいか?よく聞けよ?今日は奢らん!お前が奢るのが筋合いだろうが!」
僕は辻褄の合わない言葉を目の前に座る同期に放り投げた。
するとどうだろう。
同期は「は?何言ってんだ?酔ったか?まだ、生ビール二杯だぞ?」と寝惚けた事を言う。
「うるせぇ!お前は感謝の気持ちを込めた上で、今日、この席は、奢りやがれ!いや、ていうか、これから毎回奢りやがれ!」
僕はもう辻褄の合わない怒りに任せまくりで言葉を吐き、「日本酒!」とオーダーをする。
「意味が分からねぇ!ふざけやがって、ぜってぇ奢らねぇよ!」
同期も譲らない。
そして、「こっちも日本酒!」とオーダーする。
そこからはもう泥試合だ。
泥に泥を重ね、更に酒を混ぜ合わせて、できあがったのは泥酔試合であった。
どうしてそうなったのか、よくは覚えていないが、気付けば二人で肩を組んで帰っていた。
僕も同期もぐでんぐでんだ。
電車はもう出てないから、タクシーを拾うために少し歩いた。
その道すがら、僕らは転んだ。
その一回だけじゃなくて、何度も転がっていたのかもしれない。
僕はそこで言った。
地べたに座りながらぼそりと言った。
「ハナオカさんがお前のこと好きだってよ」
同期のアイツはそれを聞いて笑った。
地べたで仰向けになったまま、笑った。
「ぶははは。嘘だろ?もういいよ!そういうのわぁ。ちきしょう!」
その笑いに少しだけ腹が立って、精一杯の真面目な声で言う。
「本当だよ。昨日、ハナオカさんと飲んだんだ。そしたらさ、お前の事が好きだって言ってた」
僕のテンションを悟ったのか、同期は上体を起こして言った。
「やめろよ、そういう嘘!ハナオカさんが俺のこと好きなわけないだろ!この前の合コンだって…」
「本当だよ!!」
僕は同期の言葉を遮って言う。
なんの青春ドラマだよ。
僕はもう面倒くさくなって、一人立ち上がると歩き出した。
同期が追ってくる気配はない。
僕はそのまま駅の付近に出て、タクシーを拾った。
家付近の場所を告げる。
僕はタクシーの窓から流れる景色を見る。
たまに通りすぎる人たちの頭上には数字が浮かんでいて、それがその人たちの他人からの評価を表している。
そう言えば、と僕は思い出す。
同期の頭上の数字が190くらいになっていた。
昨日の夜、ハナオカさんの告白を聞いたあと、僕がたくさんの悪口を心の中で放ったはずなのに、ちっとも減っていなかった。
むしろ増えている。
僕が減らした分、ハナオカさんの想いで増えたのか?
ふざけやがって。
そうは思ったものの、大した怒りは沸かなかった。
辻褄の合わない怒りはアルコールとともに身体の奥へ流れていったんだろう。
そもそも僕は、ハナオカさんのことを好きだった訳じゃない。
本気でどうにかなりたかった訳でもない。
何かしらの責任を負う気もない。
僕が好きなのは、僕には釣り合わないくらい良くできた、僕の3倍の評価を頭上に浮かばせる彼女だけだ。
その彼女は…良くできた、僕の彼女は、僕のことを好きでいてくれているのだろうか。
僕みたいな、可愛い先輩に簡単に尻尾を降って、勝手にフラれたような気になって、それを八つ当たりするようなヤツを。
そして何より、自分よりも他人からの評価が低い僕みたいなヤツを。
アルコールまみれの息を吐きながらそんなことを思った。
着くまで、眠ろうかな。
そう思って目を閉じかけた時だ。
「生きにくいだろぉ、若いの」
え?
今、確かに聞こえた。
聞き覚えのあるその声。
閉じかけた目を開いて、運転手の方を見る。
当然だけど、普通に運転をしていた。
だけど、ルームミラーを見ると、運転手もこっちを見ていて、その顔はニヤリと笑った。
あの、おっさんだった。
つづく
『頭上のライク』-12-
2014.7.31