『頭上のライク』
13
おっさんは、タクシーの運転手だったのか!?
しかも、それに偶然、乗ってしまえるなんて!
酔いが少しだけ醒めたような気がした。
「どうだ?生きにくいだろぉ、若いの。数字が見えちゃうって大変だろ?」
おっさんはもう一度聞いてくる。
僕は数字が見えるようになってからの日々を思い出した。
酒臭い息をゆっくりと吐き出しながら。
最初は、自分の数字と周りの人たちの数字を見るのが少しだけ新鮮で、ゆるやかにくそな毎日が、変わったような気がした。
でも、頭上の数字のことが少し分かってくると、自分の数字ばかりが気になった。
自分が好意的に見ている相手からの、評価。
ハナオカさんが僕には心のこもった挨拶をくれないこと。
僕の彼女が僕の何倍もの数字を持っていること。
それらは妙な嫉妬心を生んだし、劣等感を生んだ。
ただ、数字の事を知らなければ、あの数字が見えなければ、人生が変わっていたかと言われれば、そうでもない気がする。
どちらにせよ僕はハナオカさんに相手にされなかっただろう。
それは別に気にしない。
だって僕には出来の良い彼女がいるのだから。
だけど、そこだけが問題なのだ。
数字が見えてしまうことにより、僕が一番ダメージを受けたことは、僕の彼女の数字が見えてしまったことだ。
圧倒的な数字の差。
僕と彼女。
パートナーとして釣り合わない気がしてならないのだ。
僕は彼女を幸せにできるのだろうか。
というか、彼女は僕なんかといて幸せなのだろうか。
そんなことを考えていた時だ。
おっさんが言った。
「吐くなよ?黙りこくって、気持ち悪いなら窓開けるぜぃ?」
僕は気持ち悪い訳ではなかったから、静かに「大丈夫です」と言う。
「その、打ちのめされた感じの君もいいね!」
おっさんは言う。
チャリーンと音がする。
僕の頭上の数字が増えたのだろうか。
嘘だろ?
今のおっさんの言葉って、褒め言葉なのか。
そうは思えないような気がする。
「まぁさ、あんまり気にしちゃいけねぇぜ?頭の上の数字がゼロになろうと、死にはしないんだからよ。若いの、周りにどんな評価下されていても、お前はお前ぜよ」
そう言いながらおっさんは笑って、カーステレオのラジオを付けた。
なにかしらの音楽が聴こえた。
それは小さい音だったのに、徐々に大きくなっていく。
音楽は詳しくないから誰の曲か分からない。
少なくとも、ジャズやクラシックのような静かなヤツじゃなくて、ロックみたいな変なやつだ。
早くない、ロック。
でも、バラードではない。
音はどんどん大きくなる。
頭に響く。
おっさんの方を見ると、右手でハンドルを持って、左手でステレオのボリュームダイヤルをゆっくり右へ回してる。
次第に車中が音楽に飲まれる。
うるさい。
頭に響く。
頭に。
頭が。
ぐるぐる。
ぐるぐるしてる。
もう…。
もう限界だ。
止めてくれ。
音を、下げてくれ。
止めて、くれ!!!!!!!!!
『君は君だよ』
その時聴こえたその言葉は、おっさんの声なのか、カーステレオから流れるロックっぽい音楽の歌詞なのか、僕には分からなかった。
そのあと、急に静かになったかと思うと、車は停まって、おっさんが言う。
「着いたよ、若いのぉ」
左側のドアが開く。
「お金はいらねぇからさ、褒めてくれよ。褒めてくれよぉ、俺を!」
僕はそう言うおっさんに、何も言えずに車からよろよろと出るとすぐに嘔吐した。
民家のコンクリート塀に手をついて、吐いた。
そんな僕の背中越しで、おっさんの「吐いてる君もいいね!」と叫ぶ声が聞こえた。
チャリーンと、僕の頭上の数字が増える音がした。
こんなことでも増えるのか。
なんだよそれ。
そんな事を思いながら僕は吐き続けた。
少し落ち着いてから、口元や自然に出た涙をハンカチで拭いて、後ろを振り返る。
そこにはもうおっさんの運転するタクシーはいなかった。
つづく
『頭上のライク』-13-
2014.8.4