『頭上のライク』

 

14

ふらふらと家に帰って、風呂に入るまでは覚えていたけれど、それからは覚えてなかった。
僕は焦りながら、自分のベッドで起きた。
「何時だ!?」
心の中でそう叫んだ。
ベッド脇に置いてある目覚まし時計を見ると7時少し前だった。
良かった。
遅刻ではない。
「どーしたの?」
隣で寝ていた僕の彼女が半分寝たままそう言った。
「遅刻かと思った」
「何時?」
「7時前」
「どっち道、起きなきゃね」
彼女はそう言うと、ふぅと息を吐いて身体を起こした。
そのまま少し眠そうにぼーっとしている。
頭上の数字は、増えていく一方で、900になりそうだ。
そのうち、あのおっさんを越えるんじゃないだろうか。

 

彼女がサッと作った朝食を食べた。
彼女も僕の向かいで食べている。
「昨日、帰ってきてから、お腹好いたからなんか食べる!って言ってたのに、お風呂から出たらすぐに寝たね」
僕が覚えてない部分を彼女は笑いながら話す。
「そうだっけか?あんまり、覚えてない」
僕は苦笑いで返す。
平和だ。
平和な朝だ。
僕は多分、幸せ者なんだろう。
だけど、その間もぽこぽこと増えていく彼女の頭上の数字を見ると、やはり、やるせなくなった。
僕はその日、自分の数字は見ずに家を出た。

 

会社に着くと、遠巻きからいつものコピー機の前にハナオカさんがいるのが見えた。
そして、ハナオカさんの隣には、同期のアイツがいた。
愛の言葉でも囁き合っているのだろうか。
二人の頭上の数字がゆっくり、でも確実に1ずつ増えていっている。
僕はその場に行きたくなかったけれど、こっちも大人だ。
避けるようなことはしない。
堂々と、そしていつも通りそこに挨拶をしにいく。
「あ、おはよ!」と僕に気付いたハナオカさんが言った。
今日もとびきりの笑顔だ。
それを見て良い気分だって言うのに、「お!おはよぅ!」と上機嫌に右手を挙げたのは同期。
空気読めよ。
そう心の中で罵倒して、頭上の数字を減らしてやった。
しかし、その瞬間に僕は気付いてしまう。
この状況下において、空気を読めてないのは、僕の方だ。
なんだか急に居心地が悪くなる。
一先ず、「おはよう」と済ませて自分の席に向かった。
なぜ僕が気を使わなければならない。
ちきしょうめ!
僕は少し乱暴に席に着く。
それからパソコンの電源を点けると、脇目もふらず仕事に打ち込んだ。
脇目をふらなさすぎて、あっという間に昼休みの時間になったようだ。
同期のアイツが「飯、行かね?」と聞いてきたが、キーボードを打つ力を強くして追い払ってやった。

結局、子供な僕だった。

 

久し振りに仕事に精を出したせいか、帰りの電車の中でぐったりとしていた。
降りる駅に着いて、電車を降りる。
改札を出る。
家路を歩く。
ふと、思い出して、手鏡を取り出した。
自分の頭上を見る。
204。
あれ。
なんだかんだで、増えている。
限りなくゼロに近いのではないかと思っていたけれど、増えていた。
この間まで200を割っていたのに。
それでも…。
それでも、その数字は僕の彼女に敵うもんじゃない。
僕はタメ息を一つ吐いて、家まで黙々と歩いた。

 

家に帰ると彼女がおいしい匂いのする食事を用意していた。
台所を覗くと、「あ、おかえり!」と笑顔で僕を迎えた。
僕は「ただいま」と言う。
「ねぇ!明日の土曜日なんだけど、」と彼女は菜箸を持ったまま僕に言う。
照れた笑顔だ 。
「うちのお父さんに会ってくれない!?」
なんだ、そんなことか。
僕らはもう来年に結婚を控えているのだ。
父親にだって…会って、…会っていない!
そう、僕はまだ彼女の父親に会っていない。
もちろん、彼女の母親にはすでに挨拶をしている。
だが、しかし。
しかし、だが。
その折、「外せない会議があるから都合が悪くなった」という理由で、彼女の父親には会えていないのだ。
「明日!?」
思わず僕の声は裏返った。
「うん、明日」という彼女の悪戯な笑顔が可愛い。
チャリーン。
僕はまた彼女の頭上の数字を増やした。

 

 

つづく

『頭上のライク』-14-
2014.8.7


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頭上のライク 14
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