『頭上のライク』

 

15

休みの日にジャケットを着るのは好きじゃないけれど、仕方がない。
彼女の父親に会うのだ。
着ないわけにはいかない。

僕は電車に揺られていた。
彼女と並んで座っている。
休日の電車は空いていて、僕たちは席の端を陣取っていた。
空席の方が多いくらいだ。
地下鉄だから、夜を控えた綺麗な空は見えない。
彼女は僕の左側で本を読んでいる。
僕はケータイを弄る。
「彼女の父親への挨拶」で検索をかけて来るべきそれに備えた。
それに飽きると、目的もなくSNSを開いて流し見る。
内容なんて頭に入ってはこない。
「いいね」を…できない。
少し前まで軒並み「いいね」をしていた僕だけれど。
SNSの八方美人と呼ばれても過言ではなかった僕だけれど。
「いいね」ができなかった。
頭上の数字が見えるようになって、「いいね」が少し怖くなった。
僕はタメ息をついてケータイから目線を上げた。
地下を走る電車の外は当然暗くて、車窓には僕と彼女の姿が映っている。
わりとくっきりと。
鏡と同じような効果を持つそれは、僕の頭上の数字を映し出したし、彼女の数字も映っている。

ほとんど空席の電車。
本を読む彼女。
その隣にいる僕。
景色が見えない地下鉄。
車窓に映る僕ら。
頭上の数字。
並んだ僕ら。
並んだ数字。

並んではいるけれど、僕らがそれぞれ抱える数字には歴然の差がある。
彼女のが多くて、僕のは少ない。
それも、圧倒的な大差だ。
「本当に僕でいいのか」
彼女に言うともなしに僕は声に出していた。
彼女はその言葉に反応しなかった。
地下鉄の騒音に僕の声がかき消されたからだ。
ケータイに、目線を戻した。
振るえたからだ。
メッセージが届いていた。
同期のアイツからだ。
『おい、今日俺の誕生日だけど、人生で最高のプレゼントをもらったぜ!』
『お!おめでとう!そうか、良かったな!』と返信はせずに、何よりもまずは、ヤツの頭上の数字を下げてやることにする。
「調子に乗るなよ」
そんな思いを込めた。
そんなことを微塵も知らないアイツは、メッセージを追加してきた。
『なんだと思う?聞きたいか?』
この野郎め。
僕はさっきよりも深い念で、「調子に乗るなよ」と思ってから、メッセージを閉じてケータイをジャケットのポケットにしまった。
どうせ、ハナオカさんに例のプレゼントを貰ったことの自慢だろう。
ふざけやがって。
そんなこといちいち報告してくるな!!

 

それからしばらく、同期の頭上の数字を下げることだけに専念した。
あることないことの恨み、つらみ、ひがみを織り混ぜて、その作業に集中していると、左に座る彼女に声を掛けられた。
「お腹空いたね」
僕はハッとしてから「うん」と言う。
「おいしいパスタが食べたい」と、いかにも女らしいことを言って、本の世界に戻っていった。
その瞬間、僕は彼女のことをいとおしいと思う。
チャリーンの音も電車の騒音にかき消されたけれど、彼女の頭上の数字が1上がった。

いとおしいからこそ、思ってしまう。
気にしてしまう。
僕と彼女の頭上の数字の差。

 

もうすぐ目的の駅に着く。
電車が暗闇の中を進む。
明るく光る駅を目指して進む。
駅が近づいて、アナウンスが流れる。
電車の速度が緩む。
彼女は本を閉じない。
目が離せないところを読んでいるのだろう。
プラットホームに僕たちを乗せた電車が滑り込む。
電車が停車するギリギリまで彼女は本を読んでいた。
だけど電車が停まると、僕よりも先に席から立ち上がり、「行こ」と言って僕の方を見る。
僕は立ち上がって彼女のあとを追った。

 

「出口のところで待ってるってさ。お父さん」
改札に向かう、他に人のいないエスカレーターで彼女は言った。
「うん」
僕は静かに返事をする。
「あれ、緊張してるの?」
僕の前に立つ彼女は、上から僕を見下ろす格好になって言う。
笑顔で。
言う。
「まさか」
僕は答えた。
だけど、エスカレーターを降りて、改札を抜けて、地上出口へのエスカレーターを上がっている時、僕は耐えきれなくなって言った。
彼女に、あの言葉を、言った。

「本当に僕なんかでいいの?」

彼女は「何が?」という顔をしていたから僕は続けた。
「僕はね、君と違って他人からの評価が低いんだよ。僕に君は勿体ない」
彼女はやはり「何が?」という顔をしている。
だけど、気立ての良い彼女だ。
何かを悟ったのか、一瞬だけニヤリと意地悪な顔をして、それから真顔で言った。
「他人の評価とかどうでもいいのよ。あなたはあなただし、そんなあなたがいいわけだから、私はね」
それを聞いた僕が、彼女の頭上の数字を10くらい上げたことは言うまでもない。
今までの不安が一気に吹っ飛んで、その感動のあまり泣きそうになる僕に「いいね、その泣きそうな顔」と言いながら彼女は笑う。
それで、チャリーンと音がする。
僕の頭上の数字が彼女の今の言葉によって、1上がったのだろう。
僕は思った。
他の何よりも彼女からもらった「いいね」は守り抜こうと。
その時、彼女のケータイが鳴った。
「あ、お父さんからだ」と言って彼女は電話に出る。
「もしもし?うん。もう、駅だよ。上がるだけ」
彼女が話しているうちに、僕のケータイも振るえた。
メッセージだ。
また、同期のアイツからだ。
こんな感動的な時になんだってんだ!
僕はメッセージを開かずに削除してやろうと思ったけれど、怒りに任せて「お前に構っている暇は爪の皮一枚分もない!!」と返信するために、メッセージを開く。
しかし、すぐにそれを後悔した。
やはり、怒りに任せて物事を行うものではない。
ヤツから送られてきたそのメッセージには文章がなく、写真が一枚添付されていた。
ハナオカさんとアイツが二人で楽しそうに並んでいる写真だ。
写真の下には丁寧に、「付き合いました」と文字が挿入してある。
それを見た僕は、同期のアイツにだけでなく、不覚にもハナオカさんに対しても「調子に乗るなよ」と思ってしまった。

 

「お父さん、もういるって」と電話を切った彼女が僕に言う。
僕はそれに相槌を打ちながら、同期から送られてきた写真付きメッセージを削除して、ケータイをしまった。
エスカレーターが終わると、短い階段が待っていて、その先に出口があった。
夜に染まりたての空を四角く切り取っている。
僕は彼女と並んで階段を昇る。
最後の数段を昇るとき、彼女が少し前に出て、先に昇りきった。
「お待たせ!」と彼女の声が聞こえる。
父親に言った言葉だろう。
僕は少しだけ緊張しながら、顔に笑顔を作って、階段を昇りきる。
そして、その笑顔でそこにいる彼女の父親に爽やかに挨拶をするはずだったけれど、そんな余裕はなくなった。
「私のお父さん」と彼女がハニカミながら紹介した、その人を見て僕は混乱してしまったからだ。
まさか。
嘘だろ。
どういうことだ?
だから頭上の数字が?
彼女の横に立つその人は僕に言った。

「生きにくいのも悪くないないだろぉ、若いの」

 

 

おわり

『頭上のライク』-15-
2014.8.11


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頭上のライク 15
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