昼食のきゅうり

テーブルの上には、味噌汁とご飯ときゅうりのお新香が並んでいていて、俺は箸を構えて座っている。五畳半一間。部屋は片付いているとも散らかってるとも言えないくらいに散らかっている。ご飯に生卵をかけてしまうか迷っていた。どうするか。どうしたもんか。この熱々のご飯にかける卵と醤油はおいしいだろうなぁ。そうした場合、箸休めのお新香だって、美味しさを増すに違いない。今、このきゅうりのお新香は、俺の部屋の控えめな散らかり具合を責め立てそうなほどには素っ気ない。ご飯に卵をかけてやれば、その素っ気なさも無くなり、俺ときゅうりは万事円満だろうよ。しかし問題がある。味噌汁に卵を使ったおかげで、冷蔵庫には一つも卵がないという事だ。俺はなんてことをしてしまったんだ。豆腐を切るのが面倒で熱々になった味噌汁に溶き卵を垂れ流したのだ。調理している時は、良い気分だった。「一人者の割に、お料理上手よね」なんて思っていた。それが今はこのザマだ。調子に乗りすぎた。あれ、調子に乗るといえば、昔、「調子に乗るための免許を取りに行く」とか言ってた阿呆な友達がいたが、あいつは今どうなったんだ。無事に免許を取得したのか。まぁ、そんな免許あるはずないのだが。そんなことよりも俺の昼食である。そう、これは昼食なのだ。大事だ。朝食などを食べる時間に起きるはずのない俺には、この昼食が一日の始まりなわけで、一年の計は元旦にあり、一日の計は昼食にありだ。とはいえ、冷蔵庫に卵がないのだから卵かけご飯を所望するのは間違っているし、現実的ではない。諦めて、白米と味噌汁と素っ気ない態度のお新香を胃袋に納めたらよろしいのよ俺は。部屋の散らかり具合への小言も甘んじて受けましょう。味噌汁を作ったくらいで「お料理上手」なんて思った慢心への罰も両手を広げて抱きしめましょう。

覚悟が決まった。
人生とは選択と覚悟の連続である。
選択し、覚悟をする。
覚悟をしたのち、選択をする。
そう。
今しがたした覚悟を、本当に覚悟とするかという選択だ。
俺たちには選択する自由がある。
そして選択次第では、自分の中の覚悟から逃げ出すことだってできるのだ。
そこで俺は、今しがたした覚悟を放棄することを選んだ。
覚悟するのは難しいが、覚悟したことを無かったことにするのは簡単なのが世の常だ。

俺は、きゅうりを箸で摘んで、ご飯の上に載せた。そして、味噌汁のお椀を持った。顔に近づけると、まだ湯気が立っていて、いい香りがした。「このお料理上手さん」と自分を小突きたい。なーんてな。と冗談を考えたのちに、味噌汁をご飯にぶっかけた。当然、きゅうりも味噌汁を浴びた。茶碗の中に、味噌汁がたぷたぷとしている。溶き卵が気持ちよさそうに泳いでいるではないか。そして、きゅうりよ。無人島に取り残された遭難者のように、茶碗の中心にだけ顔を出した白米の上にポツリと乗っておる。沈まなくてよかったな、きゅうりよ。という具合にまじまじと茶碗を見ていると俺は悟った。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている。ようし!食べようではないか。見た目など関係ない。これは、俺の昼食だ。誰にも文句は言わせんぞい。朕は国家なり。いただきます。

 

ーーーーーーーーー

 

とんでもない。
さっさと食いちぎって、胃袋に落とし込んで溶かしてはくれないだろうか。
こんな小汚い部屋が最後の場所だと思うと泣けてくる。いっそのこと沢山泣いて、塩辛くなってやろうか。そうだ。それがよい。涙をふり絞ろうとしたけれど、微塵も出ない。どうしたことだ。本当は悲しくも悔しくもないのか。だから泣けないのか。僕はこの状況を、心の底では受け入れてるとでもいうのか。誰か教えてくれ。このままじゃ、死んでも死に切れん。僕の下にいるやつはなんと思っているのか。そもそも僕のようにものを考えるのだろうか。僕はものを考えることはできるが、僕たちを目の前にしている薄汚い野郎みたいに言葉を発することはできない。だから確かめようがない。「君、この状況についてどう思ってるの?」などと聞けたらいいのに。それにしても、この野郎はいつになったら、食べ始めるのだろうか。机に僕たちを並べてから、しばらくじっと考え事をしているようだ。この家の散らかり具合について考えているのだろうか。それについてはしっかり考えるべきだ。言葉が話せれば、「この小汚い部屋から僕をだせ」と叫び散らすことができたのに。と思ったところで、野郎がこちらを見た。なんだ。いよいよか。いよいよ食うのか。やるならさっさっとやってくれ。こんなところにいるくらいなら溶けて無くなっちまった方がマシなのだから。しかし、野郎は目線を茶碗に戻すとまた考えごとを始めたようだ。なんだこの状況は。食べてもくれないというのか。それならば、もういっそこのまま捨ててくれないだろうか。そこまで考えたとき、少し涙が出そうになった。それから悲しくなっていることに気付いた。僕は、なぜここにいるのだろうか。一体、何者なのだろうか。考えることはできるが、それを伝えることはできない。僕は本当に存在しているのだろうか。分からない。ただ、薄汚い野郎に覗かれるだけ。笑えてくるな。

天井を仰いだ。
考えることをやめられたらどれだけ幸せなんだろうか。
考えなければ、自分の存在を疑うこともなかった。
それでもなお、考えてしまう僕は、最後に何を思うのだろうか。

箸で摘まれたことに気付いたのは、だいぶ体が浮いてからだ。白米の上に載せられた。温かかった。幸せな気分になった。そう思ったのも束の間だった。熱い!なんだ!何かをかけられた。状況が掴めないままでいると、野郎が僕を覗き込んでいる。すごく嫌なのに、急に閃いて、僕は安らかな気持ちになった。僕は考える事ができる。感じることができる。大丈夫さ。この先もそれを続けていくことで、僕は僕でいることができるじゃないか。我思う、ゆえに我在り。
 

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