こんばんは。
消費税が8%になってから、活躍の場が増えた僕です。
そうです。
一円玉です。
実は僕、年末ムードが大好きです。
街だって人だってアメンボだって、みんな浮かれているから。
何もかもが「年末だからね!」で許されてしまいそうな浮かれ具合。
そして、12月31日の夜中の一瞬だけ厳かな雰囲気になり、明けてしまえば「新年ウェーイ!」の浮かれ具合。
留まることを知らない浮かれムードのまま、若者たちは成人式に突入して「成人ウェーイ!」となる浮かれようが待っている。
そんな浮かれっぱなしの世の中に埋もれるように、僕の誕生日があります。
そして、今回の誕生日で僕は30歳を迎えます。
30歳って、なにか大台に乗った感じになるのは、貨幣界でも人のそれと変わりません。
何かの節目です。
でもはっきり言って、何の節目になるのか、見当もつきません。
何も変わらないと言われれば何も変わらない気がしますし。
僕にとって、30歳とは一体どんなものなか。
たまには、そういうことについても考えなければならないのではないかと思い立ちしました。
そして、それを書いてみます。
先に断っておきます。
この記事は、僕の30歳に向けての事なので、これと言って面白い内容ではないです。
よろしくお願いします。
さて、30歳です。
なんか、本当の意味で大人になってしまう気がしますね。
例えば、こんな言葉を耳にしたことがありますか?
よくロックンロール関係で用いられる台詞です。
「大人を信じるな」ってやつですね。
つまり、30歳から大人なわけですよ。
貨幣界でも人と同じく、法律的には20歳からが成弊ですが、社会的に見ると30歳からがようやく大人の仲間入りな状態ですからね。
まぁ、どこからが大人だという事は、どうでも良いんです。10代でも、20代でも立派な方はたくさんいますから。
話を戻します。
僕がまだ造幣局で見習いアルムニウムをしていた時、あ、人で言うところの高校生の時ですね。
その時から、パンクロックが好きだったので「Don’t trust anyone over 30.」の言葉に憧れを持っていたわけです。
そして、憧れと同時に文言の通り、大人が嫌いだという気持ちも持っていました。
特に、男性の大人は信用ならないと思っていました。
それは、僕の生い立ちによるものなのですが、とても退屈な話なのでここに書くのはやめておきます。
その「大人嫌い」な気持ちのままアルミニウム研修生になって、あ、人で言うと大学生ですね。
その時くらいから、ますますパンクロック的な物が好きになりました。
それまでは、たまにJ-POPも聴いていたのですが、アンチな精神がどんどん育っていったのです。
そして、大人になりたくないという気持ちを持つようになりました。
まぁ、大人になりたくないと言うよりも、就職したくないと言う方が正しい言い方ですね。
500円玉に成れるならまだしも、1円玉ですからね。そりゃ、就職なんかしたくありません。
しかし当然、社会はそれを許すわけがなく、流れ的にどんどん大人の世界に入っていきます。
僕は、「パンクだ!うんこだ!」とか言いながらも社会の枠から飛び出る勇気もなかったので、アルミニウム研修生を卒業して、日本銀行発行の一円玉として社会に出たのです。
就職してからも、バンドをやって、彼女と同棲をして、なんだかんだ楽しい日々を送りました。
身体と身体のぶつかり合いな仕事も最初は大変でしたが、慣れてくると楽しくなってきました。
大抵の事は慣れてしまえば楽しくなるんですよね。
ギターみたいなもんで、最初の指の痛みさえ越えちゃえばあとは楽しいんです。
そこからは、あっという間に今に至ります。
あっという間でしたが、色々な事があったのも事実です。
いわゆる、社会の荒波に揉まれたわけです。
でも、そこにはいつだって仲間がいました。
「自販機系に対して、僕達は役立たずだ」って愚痴りながら、5円玉の連中と酒に溺れたことは良い思い出です。
また、誰かと肩を並べるには、どう足掻いてもそいつの倍の努力をしなければならない「1」の宿命に、悲劇のヒロインぶったこともあります。
あの頃は、周りを見過ぎて自分にしかできない事に気付けないでいたんです。
そして、それに気付けたのは、やはりロックンロールのおかげでした。
-僕は僕自身でいる必要がある、50ペンスには成れはしないんだから-
そんな歌があるということを、スーパーマーケットのレジスターの中で出会った、イギリスへ行ったことのある1円玉に教えてもらえるまでは知りませんでした。
素晴らしい歌です。
僕は今でも、時々、その歌を口ずさみます。
ともかく、色々な事があり、僕は30歳を目前にしているわけです。
現状を見てみれば、可愛くて料理上手な妻がいて、最近「アンパンマン」が言えるようになった子どももいます。
仕事でも笑えています。
これは、「幸せ」以外の何物でもないのでしょう。
現に「幸せですか?」と聞かれれば「幸せです」と答えると思うので、間違いありません。
しかし、30歳になる事を考えてみると「僕は、あの頃なりたくなかった大人にしっかりとなっているじゃないか」と思うわけです。
この感傷は、ダサいものです。
自分でも分かっています。
さらに僕は、30歳を目の前にしても未だに「Don’t trust anyone over 30.」の精神を捨てられずにいます。
というか、捨てたくありません。
そうです。
精神的な成長が全然できていない気がしてならないのです。
ただ、果たして、本当に何も成長してないかというとそうでもありません。
これは、自分を多角的に見れば分かります。
まず、聴く音楽の趣味が少し変わりました。
見習いアルミニウム時代から一般アルミニウムを卒業してしばらくするまで、こんな音楽ばかりを聴いていました。
今でも好きなので聴くこともありますが、昔のようにずっと聴くことはできません。
疲れてしまうのです。
そして、今では、こんなに優しい音楽を聴くようになりました。
昔の僕からは考えられません。
ビートが遅い音楽なんて。
歪みの少ない音楽なんて。
叫ぶ事のない音楽なんて。
そんな音楽、ただの退屈でしかなかったのです。
昔は洋楽を聴くこともありませんでした。
今は、ジャズなんかを聴いちゃったりするくらいです。
音楽の趣向の変化に伴い、服装の好みにも変化がでてきました。
若い時は、傷だらけの1円玉先輩に強い憧れを抱いていました。
ですから、無駄に傷付こうとして、傍にいる硬貨に片っ端からぶつかりました。
あと、チャンスがあれば財布から飛び出してやりました。
でも、今は、ピカピカの新硬貨にも憧れます。
光沢やツヤのあるボディを僕は取り戻す事ができません。
もちろん、完全に趣味が変わったわけではないのですが、求める範囲が広くなったのです。
音楽と服装の趣味の幅が広がるにつれて、口にするアルコールの種類も多くなりました。
昔はビールや洋酒が嫌いでしたが、それは飲み方を知らなかっただけで、今ではおいしく飲む事ができます。
多分、こういう趣向の変化が起こった時点で、僕の青春は終わったのだと思います。
青春は終わっても、引きずっています。
昔好きだった物をそのままにして新たな自分になっているわけです。
これは多分、成長と言っても過言ではないでしょう。
つまり、僕は「Don’t trust anyone over 30.」と言って社会に中指を突き立てるような気持ちを持ちながら、しっかりスーツを着て笑顔で働けるようになったわけです。(一円玉なので、実際にはスーツなんて着ていませんが)
自分と社会との間に折り合いを付ける。
これが大人になるという事の一部なのでしょう。
変わっていないように思えて、しっかりと変わっているのです。
それを「変わってしまった」と捉えてる場合もありますが、仕方のないことなのだと考えます。
でも僕は、今でも「Don’t trust anyone over 30.」の精神を捨てたくありません。
しかしそうするには、矛盾が生まれます。
僕はすっかり、嫌いだった大人になってしまったからです。
さらには、自分が「大人」に近づくにつれて、実際の大人の人たちの凄さも知ったのです。
だから、もう外に向かって大きな声で「Don’t trust anyone over 30.」と言いづらいのです。
そこで僕は考えました。
では、内側に向かって言うのはどうであろうかと。
つまり、大人になった自分自身にその言葉を投げかけるのです。
その時は、このように投げかけます。
僕は見習いアルミニウムやアルミニウム研修制だった時の、尖った感覚を無くしていると思うのです。
それは、悪いことでは無いと思っています。
大人へと成長したと捉えるからです。
でも、本当の勝負はこれからです。
自分が嫌いだった大人にならないようにする必要があります。
だから、自分で自分を疑うのです。
かつて、孔子は「三十にして立つ」と言ったそうですね。
彼の言葉は、貨幣界でも有名なのです。
「三十にして立つ」とは、「基礎が分かったから独立をする」というような意味と聞いています。
僕も社会との折り合いを上手くつけられるようになったので、ここからは折り合いを付けた上で、僕がどうやって尖っていくかという事になります。(この、折り合いを付けた上で生きていく環境から脱する勇気はないので)
簡単に言えば、中指を突き立てる相手が社会から自分に変わるのです。
そう言えば、先日読んだ「ライ麦畑でつかまえて」に、気になる引用がありました。
成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある。
とても感心しました。
理想が叶うかどうかの話ではなく、理想を実現するためにどうするのかという話です。
僕は後者になりつつあります。
何かのために終わりを念頭に行動できなくなりました。
何度も言うようにそれが良いとか悪いとかの話ではありません。
しかしながら、どちらの感覚も持ち合わせていたいのです。
さて、もうそろそろこの話も終わります。
僕の、厨二病的な駄文にお付き合い頂きありがとうございました。
最後に、僕の身体をよく見てください。
外側の形は丸いですが、中に書いてある「1」という数字は尖っているでしょう?
僕は、まさにそういう感じになりたいんです。
外見は丸くても、内に秘めた気持ちが尖っている。
そんな感じです。
見た目はそうですが、いつだって中身が追いつかないんです。
だから、中身も追いつけるように、自分に中指を突き立て続けて、刺激的な30代を送りたいと思います。
では、これから僕は、大好きな年末ムードを楽しむ事にします。
みなさんも、よい年末&年始を!
P.S.
ここで一番言いたかった事を一言。
1円を馬鹿にする人は1円に泣きますよ!
以上
kotoba-asobi
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