「海には行けないの」

 

14 マキガイ

不思議なもんだ。
もちろん、トラの皿が入れ替わった事についてだ。
店のアルバイトのコンブは「店に来たおかしな奴の仕業かも」と言っていた。
だけど、おかしなヤツがわざわざ代わりを用意するのだろうか。
そこは疑問だ。
ただ、どちらにせよ、お手製のあの皿が無くなったのは残念だ。
できることなら返して欲しいもんだ。
まぁ、トラが飯を食えればそれで何も問題はないのだが。
そう思って目線を上げると、たくさんの鍵を開けて借りてきた、自転車が目に入った。
お、そうそう。
これが手に入ったんだ!
ということは、波ちゃんと海に行けるぞい!
それにしても、自転車なんか、久々に我が家にやってきたな。
しばらく乗っていない。
そうだ。
今日は何だか、不思議な日だから店を早く閉めて、夕闇のサイクリングといこうじゃないか!
「いいだろ?」
側にいたトラに聞くと、「ミャア」と鳴いた。

 

本来であれば、夜9時までの営業だ。
店の暖簾を引っ込めて、「誠に勝手ながら、本日の夜の営業はお休みさせて頂きます」と貼り紙をした。
ささっと、中の片付けをしていると、事務所からコンブが出てきた。
事務所と言っても、物置兼更衣室だ。
「お疲れーっス!」
声色が妙に上機嫌だった。
19時から来る、夜のバイトの奴に連絡してもらおうと思ったのに、それを頼む間もなく、そそくさと行ってしまった。
何にそんなに浮かれることがあるのだろうか。
好きな女と海にでも出掛けるのか?
おや、それは俺のことだったか。
自分でそう思って、吹き出してしまう。

夜来るはずだったバイトに、今日は来なくて良いと伝える。
勝手な都合だから日給の半分は出すことを伝えると、喜んでいた。
俺は、店の片付けを済ませると、一度、二階の自宅に行って着替えた。
ジャージの長ズボンとTシャツの姿で外に出た。
リュックも背負って行く。
もし、サイクリングの途中で波ちゃんに出会った場合は、すかさず自転車を渡して、そのまま海へ逃避行だ。
いや、逃避行という言い方はおかしい。
何も世間様から隠れる必要など無い。
ただ、あの子を、毒にまみれたこの街からなんとか連れ出してあげなければならない。
それだけだ。
そういう訳があって俺は、リュックには海水浴に必要な道具を詰め込んでいるし、ジャージの下には海パンを履いている。
昔からよく言うだろう。
備えあれば憂い無しだ。

 

自転車の乗り心地は、見た目通り普通だった。
何で、こんなに普通の自転車に、あんなにたくさんの鍵がかけてあったのか、さっぱり分からない。
この自転車の持ち主はよっぽどの変わり者と見た。
そんな事を思いながら、すらすらと商店街を走っていた。
すると、少し先で、路地に入っていく男が目に止まった。
なぜ、目に止まったのか。
ジャラジャラと騒々しい音を立てていたからだ。
目を凝らすと、その男の腰の部分で揺れる塊が原因だと分かった。
あれは‥‥。
鍵の束?
この距離では、そこまで判断できない。
でも、そうかもしれない。
コンブが言っていた、店に来たという、おかしな奴か?
だとしたら、どんな奴か面と向かって会ってみたいな。
俺はそいつに興味をそそられて、跡を付けることにした。
どうせ、宛の無いサイクリングだったのだ。
良いだろう。
そう心で思ったとき、どこからか、トラが「ミャア」と鳴く声が聴こえた気がした。

俺は「人生、不思議な出会いがあるもんだ」と呟きながら、ペダルをゆっくりと踏み込んだ。

 

 

「海には行けないの」-14-
2013.8.25

海には行けないの 14