「生まれて8年目」
7月14日 晴れ
お父さんはお昼過ぎに家に来た。
ボクは待ちくたびれていた。
「ちょっと、涼ませてくれないか?」と言うお父さんの手を、ボクは引っ張った。
早く公園に行って逆上がりの特訓をしたかったからだ。
お母さんはそれを見て笑っていた。
ボクに引っ張られるがまま、公園に来たお父さんは何度も「暑い」と言っていた。
お父さんは、鉄棒の近くの木陰に入ると「とりあえず、やってみせてくれないか?」と言う。
ボクは「できないんだってば」と言いながら、やってみせる。
やっぱり、できない。
「なるほどね」とお父さんは言う。
「もう少し練習すればできるようになるよ」
そう言って、ベンチに座ると本を読み始めた。
それじゃ、お母さんと同じじゃないか。と思ったけれど、ボクは黙って逆上がりの特訓を始めた。
しばらくしたあとに、急にお父さんが口を開いた。
「距離が開きすぎなんじゃないかな?鉄棒と、胸がさ。何事も、遠すぎると面倒だ。まぁ、近すぎてもダメだけれどね」
いつの間にか本を閉じて、ボクを見ていたようだ。
ボクはお父さんに言われたアドバイスを参考にして、逆上がりを試みる。
おや?
なんとなく、今までより「逆上がり」に近づいた気がする。
ボクは思わず、お父さんを見た。
お父さんもボクを見てて、笑ってくれた。
ボクは、さらに頑張って特訓に励んだ。
「そう言えば、日記はちゃんと書いているか?」
地面を蹴るボクにお父さんは言った。
それのせいか、またもや逆上がりは成功しなかった。
「書いているよ」
鉄棒を掴みながらボクは答える。
「どうだ?書いてみると、色々あるだろ」
「うん」
ボクは、日記に書いた色々な事を思い出していた。
とりわけ、カルボさんのことを。
「少しは中堅少年に近づいたんじゃないか?」
「そうかもしれない!」
ボクはそう言いながら、また逆上がりにチャレンジした。
地面を蹴る回数が重なる度に、セミの鳴き声が大きくなっていく気がする。
喉が乾いたな。
…カルボさんは今ごろ何をしているだろうか。
そんなことを思った頃、ボクは、回転していた。
景色が見たことないようにぐるりと歪んだ。
できたのだ。
逆上がりが。
「お、できたじゃん」
お父さんは言った。
「忘れないうちに何回かしてごらん」
ボクは、逆上がりができたことにドキドキしながら大きく頷いて、また地面を蹴る。
失敗するときもあるけれど、ボクは逆上がりができるようになった。
逆上がりの術を体得したし、大人にも一歩近づいたわけだ。
ボクは、お父さんに買ってもらったジュースを飲みながら、お父さんの隣に腰かけた。
公園には誰もいなくて、セミの鳴き声だけが響いていた。
ボクとお父さんはしばらく黙っていたけれど、ボクから話しかけた。
「もう、ボクたちと住まないの?」
お父さんはボクの質問に顔色を変えなかった。
「しばらくは、そうだね」
「何で?」
「うーん。そうだな、きっと、お前と同じさ」
「え?」
「特訓をしているんだよ。そう。逆上がりの特訓みたいなものさ。いつか不意に出来るような、難しく考える必要のない単純な事なのかもしれないけれど、今は特訓が必要なのさ」
「ふーん」
ボクはお父さんの言っている事が分かったような、分からなかったような、そんな感じだったけれど、とりあえず頷いた。
「さぁ、帰ろうか。お母さんに逆上がりができたことを報告しないと」
お父さんはそう言って、ベンチから腰をあげた。
ボクもあとに続く。
帰り道、「そう言えば、カルボさんとはどうなんだい?」とお父さんに聞かれてボクはビックリした。
「え?」と言うと、ニヤリとしながらお父さんは言った。
「お父さんくらいになると、読心術くらい心得ているんだよ」
ボクも早く読心術くらいできるようになりたいと、強く思った。
おわり
「生まれて8年目」-14-
2013.7.21