「ロール」

 

ロール16

なぜ逃げるように自転車をぶっ漕いだのか、自分でも分からなかった。
本物のエミナちゃんを見たからだろうか。
憧れが強すぎた故に、体が驚いたのだろうか。
でもだけど、あんなに会いたかったのに、なぜ驚いたくらいで逃げる必要がある?
逃げなければ、トイレットペーパーが無いと言う窮地から救ったことに対して「ありがとう」くらい聞けたんじゃないのか?
エミナちゃんのありがとう。
生エミナちゃんの。
生ありがとう。
それを想像してしまった。
僕の脳内のエンドルフィンが増える。
急ブレーキ。
MAXの力で急ブレーキ。
「引き返すなら今しかない!!!」
そう思ったが、もはや自分の店の前まで来ている事に気付く。
エミナちゃん。
きっともう撮影は終わっているだろう。
僕は自転車に股がったまましばらく動けないでいた。

 

「え?マジで!?マジかよ!!」
エミナちゃんにトイレットペーパーを渡した話をすると、トイチが目を輝かせて言った。
「遂に芸能人御用達になるかぁ。やべぇな!」
盛り上がるトイチを尻目に僕はレジカウンターの椅子に座る。
短いため息を吐いた時にトイチに聞かれる。
「で、サインとか貰わなかったの?」
「貰わねぇよ。紳士だからな。仕事の邪魔はしねぇんだよ」
「じゃあ、生ありがとう止まりか」
このデブメガネ。
痛いところばかり突きやがって。
今度、居眠りしているときに鼻の中に納豆でも詰めてやる。

 

そのあと僕は、いつものようにボーッと漫画雑誌のエミナちゃんのグラビア写真を見ていた。
ついてねぇな。
何で逃げてきちゃったんだ。
マジで。
悔やんでも悔やみきれない、人生最大の後悔だ。
最近、朝、コンビニにアキホちゃんもいねぇし。
最悪だわ、最悪。
トイチは僕の隣でケータイを見てる。
その目は今にも寝そうなくらい、とろけてる。
寝ろ。
早く寝ろ。
そしたら鼻に納豆をぶち込んでやる。
しかしそうはならなかった。
客が来たからだ。
トイチが「いらっしゃい!」と言う。
背の高い男だった。
男は馴れ馴れしく「よっ!」と片手をあげる。
知らん。
お前のことなど知らん。
そう思った時だった。
「あ、兄ちゃん」
トイチが、そう言った。
兄ちゃんだと!?
背の高い男にズームイン。
おそらく180に近い身長。
すらりんとした体格。
自然な短髪を物にしてしまう顔。
ぱっちりんな二重。
そして、120Wはありそうなその笑顔。
僕は隣にいるトイチを見る。
デブだ。
明らかなデブだ。
そしてメガネだ。
どう見てもメガネだ。
額を濡らす得体の知れない液体をハンカチで拭ってる。
嘘だろ。
これは遺伝子の突然変異のサンプルとして研究所に報告した方が良いレベルだ。
「どうしたの?」
僕の動揺をよそに、トイチが聞く。
「いやぁ、失恋しちゃってさー。なんか慰めになるヤツ無いかなと思ってさ」
「またかぁ。兄ちゃんは多いなぁ本当に。ちょっと待っててね。良いヤツがあるんだ」
トイチがトイレットペーパーを探し出す。
その時、電話が鳴る。
店のじゃない。
トイチの兄貴のケータイだ。
「あ、もしもしー。元気元気!え?今日?あー、夕方からなら良いよー。」
トイチの兄貴が明るい笑顔で答える。
相手は女だ。
ケータイから声が漏れてる。
それが聞こえるのは店が静か過ぎるせいじゃい。
それにしても・・・。
僕はトイチを見る。
一生懸命トイレットペーパーを探している。
憐れだ。
兄貴が女にモテモテだってのに。
なんだって神様はこんなに不公平なんだ。
と、そう思った時だ。
僕は思い出した。
トイチの兄貴は確かエミナちゃんと同じ学校だったはず。
トイチの兄貴が電話を切る。
僕はすかさず聞く。
「あ、あの、トイチのお兄さんって、エミナちゃんと同級生だったって本当ですか?」
「エミナちゃん?」
首を傾げる。
そして、それが誰なのか思い出そうとしているようだった。
でも、心あたりがないようだ。
トイチを見る。
まさか嘘つきやがったか、このデブ。
「そんなヤツいたかな?」
トイチの兄貴がそう言った。
「いたでしょ」
そこで声を出したのはトイチだ。
聞いていたらしい。
「ほら、あのグラビアアイドルやってる黒髪の人だよ」
トイチは片手にトイレットペーパーを持ってカウンターの奥から出てきた。
兄貴に渡す物が見つかったらしい。
「グラビア?」
「そうそう」と言いながらトイチは兄貴にトイレットペーパーを渡す。
そのパッケージには「花より団子にうつつを抜かせトイレットペーパー」と書いてあった。
それはトイチなりの嫌みなのだろうか。
それとも確かに恋の痛手から救おうとしているのだろうか。
トイチに憐れみを抱いていた僕は、前者であれと願った。
些細な抵抗くらい、多目に見てやってください、神様。
「あぁ!思い出した」
トイチの兄貴がトイレットペーパー片手に声を上げた。
「そうそう、エミナってそれ芸名だよな。あれだよ、アキホでしょ?」
ズドーン。
それはとても衝撃的な一言だった。

 

 

「ロール」-16-
2013.12.4

ロール 16
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