『頭上のライク』

 

6

家に帰ると、彼女はまだ帰っていなかった。
僕が無駄なくすぐに帰ったからだ。
部屋の電気を点けて荷物を置く。
お風呂に入る準備をしてる僕の頭の中では、さっき、おっさんに言われた言葉が頭の中をぐるぐると回った。
「人間は慣れるから。異常なほどねぇ」
慣れるのか。
この状況にも。
確かに、おっさんはちっとも辛そうじゃなかった。
まぁ、1000を越えるほど褒められるんだ。
辛いことなんてないだろう。
僕の頭上の数字が200とかだからこんな状況を楽しめないんだ。
僕だって、頭上の数字が1000もあったら、そりゃ、楽しいさ。
だけど僕は分かっている。
そんなことを考えながらも、分かっている。
シャワーを浴びながらも、分かっている。
あのおっさんだって多分、最初からあんな数字があったわけじゃないということを。
苦労しているに違いない。
だって、あんなにたくさん人がいる駅や会社でさえ、1000を越える数字を持った人を見ていないのだから。
苦労しなきゃ、あんな数字は頭の上に出せない。
多分、多分だけど、おっさんもただ「慣れた」んだろう。
最初は嫌だったのかもしれない。
疲れたのかもしれない。
本当のところは知らないけど、少なくとも、頭上の数字が見えるせいで、ゆるいくそみたいな日ではなく、くそみたいな日を過ごしたに違いない。
だから多分、僕も慣れるんだろう。
うん。
多分。
慣れる。
そう思った。
でも、見ないようにしていた、お風呂場の鏡に映った自分の頭上の数字を見て、僕はやはりやる気をなくす。
数字は195になっていた。

 

僕はその日、お風呂から出ると、ベッドに行き、倒れ混むように寝た。
疲れていた。
とても疲れていた。

 

目覚ましのアラームで目が覚めた。
ケータイ電話で時間を見ると朝だった。
彼女はすでに家を出ているようだ。
昨日、帰ってきたのにも気付かなかったけれど、リビングに行くとテーブルの上に朝御飯と置き手紙があった。
「珍しく早寝だったね!疲れてるのかな?今日も頑張りましょ!」
僕はそのメモを見て、「やはり優しいやつだな」と思う。
そのおかげで、彼女の頭上の数字は上がったことだろう。
数字。
そうだったな。
今日も数字との付き合いだ。
忘れていたわけではないが、そんな風に思い出す。
少しげんなりしたけれど、僕は彼女の作った朝御飯を食べて、着替えて、玄関で革靴を履く。
ドアを開ける前に「人間は、慣れるから」とおっさんの言葉を思い出す。
ドアを開けると朝の空気が一気に入り込んできて、清々しく思えた。

 

職場に着くと、オフィスに行く前にトイレに向かった。
今朝は、なんとなく自分の数字を見ないようにしていたからだ。
昨晩見た195の数字に受けたショックは大きかった。
さて、今はどうなっているだろうか。
199。
今見た数字だ。
回復している。
なんだかテンションが上がる。
僕もまだまだ捨てたもんじゃない!
僕はトイレを出て、オフィスに向かう。
早速、ハナオカさんに出会う。
コピー機のところで、コピーをしている。
朝一のハナオカさん。
ラッキーだ!!
ハナオカさんの頭上の数字は286になっていた。
増えてる。
おそらく昨日の合コンで乱獲したんだろう。
「おはようございます」
僕は声を掛ける。
「おはよ。今日の髪型、決まってるね」
ハナオカさんは笑顔で僕に言う。
たとえ…。
たとえその褒め言葉にチャリーンと音が鳴らなくても、僕の頭上の数字が増えなくても、それは、素敵なハナオカさんの中から出た言葉に違いは無く、たとえ社交辞令だとしてもそれさえも言ってもらえない人だっているんだ。
僕は急にプラス思考になってそんなことを思った。
そうだ!!
ハナオカさんのその言葉を、言われた僕自身が信じなくてどうする!
奮起したときだ。
背後から「おはようーす」と元気の無い聞こえた。
この声は同期のあいつだ。
昨日ハナオカさんたちと合コンに行ったあいつ。
「あ!おはよ。昨日はありがとね!面白かったよ!!またやろうね」
ハナオカさんは僕の後ろにいる同期に向かって言う。
笑顔で、言う。
テンションが高い。
そんなハナオカさんを観察しながら、僕は同期の方へ振り向かない。
振り向いてたまるか!
だって、今、チャリーン!と音が聞こえたんだもの。
またこいつばかり増えるんだもの。
「え、えぇ、また呼んでください」
数字が上がったのにも関わらず、背中越しに聞こえてきたのは、やけに元気の無い声である。
僕はイラついた。
ハナオカさんに数字を上げてもらっておいて、元気がないとは何事だ!!
ふざけるのも大概にしろ!!
僕は勢いよく振り返り、憎まれ口の一つでも叩いてやろうと思った。
しかし。
しかしだ。
そんなことはせずに、僕は優しい声で言った。
「きょ、今日は俺と飲んでくれよ」と同期を飲みに誘ったのだ。
だって、彼の頭上の数字が87になっていたんだもの。
昨日、僕が最後に見たときは確か198だったのに。
100以上もダウンしている。
昨日の合コンで、コテンパだったのだろうか。
合同コテンパだったのだろうか。
僕は知る由もない。

 

 

『頭上のライク』-6-
2014.7.7


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頭上のライク 6
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