『頭上のライク』

 

9

僕はその誘いに大いに乗っかった。
激しくむせながら大いに乗っかったのだ。
ハナオカさんは、「大丈夫?」とハンカチを差し出しながら心配してくれた。
しかし、そのハンカチを汚すわけにはいかない。
だから僕はその優しさを断り、自分のハンカチで口許を押さえる。
僕が落ち着くまでハナオカさんはそこにいてくれた。
もう、お昼の時間も終わると言うのに。
「すみません。僕のせいで貴重なお昼を」
なんて優しいんだ!!
チャリーン。
僕の想いに反応して、ハナオカさんの頭上の数字が増える。
「大丈夫よ。それよりも、今日行くことは、誰にも言わないでくれない?」
ハナオカさんは笑顔で言った。
なんだ。
なんだそれは。
その言葉の意味するものは一体なんなんだ。
ハナオカさんのその言葉は僕をひどく混乱させた。
誰にも言ってはいけない?
秘密のデート?
おいおいおい。
僕は一人で盛り上がりながら、「分かりました。そしたら、現地集合とかの方がいいですか?」と冷静な切り返し。
「そうね…それが良いかも。ごめんね、変なこと言って」
ハナオカさんは、眉をハの字にして、すごく申し訳なさそうに言った。
目がキラキラしている。
僕がそれに目を奪われていると、「チャリーン」と音が鳴る。
は!
僕はその音で我に返る。
今、確かに「ハナオカさんはなんて素敵なんだ」と思ってしまった。
まぁ、実際素敵なのだから仕方がない。
「じゃあ、とりあえず、20時にLuLuっていうワインバーでいい?ネットで調べればすぐに出るから」
ハナオカさんは言う。
僕は「分かりました」と笑顔で返した。
「じゃあ、夜ね」
そう言って去っていくハナオカさんの背中を僕はずっと見守った。

 

午後の仕事に取り掛かる僕は、午前中と同様、全然集中できずにいた。
だって、ハナオカさんに誘われたのだ。
誰にも言ってはいけない、お忍びデートである。
おや?
いや、これは決してデートなんていうものではない。
僕には彼女がいる。
それも僕自信が負い目を感じるほどにできた彼女だ。
彼女を裏切るようなことはしたくはない。
これはあれだ。
会社の先輩社員の誘いに乗った、後輩社員という構図だ。
それを忘れてはならない。
うん。
忘れはしないさ。
そう、僕は先輩であるハナオカさんに飲みに誘われただけだ。
何もやましいことはない!!
それに、僕の彼女だって今日は同窓会という飲み会だ。
お互い様だ!
よし!
なんだか分からない根拠を用いて僕は僕を納得させた。
納得はしたけど、浮き足立って仕事は進まない。
夢の世界にいるみたいである。
僕は真面目に仕事をする連中をくるりと見回す。
そしたら、コピー機を操作している同期のアイツが目に入った。
僕はその瞬間、ものすごい優越感を覚えた。
ふふふふははは!
僕はハナオカさんに誘われたぞ!
お前なんかが誘われた複数で行う合コンなんていうものではなく、二人きりだ!
あ、二人も複数か。
だが、同じ複数でも質が違うぞ!
密度が違う!
そう、全ては密度の違いだ!
僕は大声でそう言ってやりたかった。
そしたらアイツの心はさぞかしコテンパになるだろう。
しかし、いくらなんでもそれは可哀想だ。
僕は慈悲の心をもってして、彼を見つめるだけに留めた。
それが間違いだったのだ。
この時点で僕は彼の心をコテンパにしておくべきだったのだ。
なぜなら、このあと、僕の心がコテンパになったからだ。

 

 

つづく

『頭上のライク』-9-
2014.7.19


デートしよっ「とっておきデートプラン」

頭上のライク 9
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