「い」から始まる短いものがたり

 

慈しんでほしい。
きみたちが持ってる愛情を全て注いで、慈しんでほしい。
僕は、君たちより先に「世界の終わり」を経験したのだから。

 
自分でも分かるくらい変な歩き方で、駅を出た。
若いやつらが、こちらにケータイを向けている。
怒りは感じない。
だって、僕もそうするに違いないから。
そんなことよりも、やっと、降り立つべき場所に来れた。
長い道のりだった。
車内での、周囲の視線。
空調のお陰で益々広がる、「世界の終わり」的な臭い。
不可抗力とは言え、自分で産み落としたモノなのに、愛情は湧かなかった。
それどころか「悪魔じゃ!!悪魔の子じゃー!!」と走り出したいくらいだった。

しばらく、悪魔と対峙していた為か、俗に言う「無我の境地」に至った。
つまり、脳みそが完全にひっくり返ったというわけだ。
その「無我」さと言ったら、半端ではない。
「名を名乗れ」と言われたら、「名?そんなものに意味はないだろうが、あえて答えるなら、うんこだ」と言えるくらい、「無我」だった。
僕には、もう怖いものなど何も無い。

そんな強がりは、一瞬であった。
僕は、ギリギリの精神で帰宅すると、泣きながら風呂に入り、嗚咽混じりで清潔間溢れる洋服に着替えた。
忌々しい悪魔に汚された戦友リーバイスは、断腸の思いで、ごみ袋に入れた。
「泣いて馬超を切る」とは、この事か。
最後に思い出を語ろうと、「お前に出会ったのはいつだったっけかなぁ?」と話しかけてみるが、ごみ袋の中で彼は屍のようだった。

 
なんだか、家にじっとしていられなかったので、外に出た。
ふらふら歩きながなら、ふと空を見上げた。
夏にしては、星がきれいに見えた。
ケータイを取りだし、綺麗に写るはずの無い星空に向かって、シャッターを切った。
そして、「今日はありがとう。サンドイッチ、すごくおいしかった。」と真っ暗な写真を添付して、彼女にメールを送った。

レスポンスは、早かった。
「今から、駅近くのスーパーに来れる?プレゼントがあるの。」
なんと言うことだ。
今日、「世界の終わり」を味わったのも、こんなことが待ってる為だったのか。
テンションは思わず左肩上がりだ。
返事を済ませ、走り出した。

星の美しい夏の夜。
僕は数十分後に、スーパーの入り口で、笑顔の彼女に泣かされることを知らなかった。
しかし、それを知っていたからと言って、何が変わっただろうか。
来年もまた夏が来るのを知っているのに、いつもたいして変わらぬ夏を過ごす。
そんなもんだろ?

でも、今日「世界の終わり」を味わうことを知っていたら、僕は、大好きなリーバイスは履かなかっただろう。

 

 

「」から始まる短いものがたり
2012.6.26


 


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