『ノリたい!!』

 

10 好青年

どうせ、冴えない人生を送っていそうな
冴えない顔で立っているんだろう。
僕はそんな風に、背中越しに立つ彼の姿を想像した。
そんな事よりも教習だ。
僕は4号室のドアを静かに閉める。
8畳ほどの部屋の真ん中に机が一つと、左隅に教卓のような簡単な机が用意されている。
机に荷物を置き、椅子を引いてそこに座る。
自分の事に集中しなきゃならない。
明後日には仮免のテスト。
今日の教習で落ち度があってはならない。
なぜなら、早く免許を取って赤いコートの彼女とどうにかなるのが僕の目標なのだから。
腕時計を確認した。
教官が来るまであと3分ほど時間がある。
教科書を出して、何となく読み始める。
天井にいくつかある埋め込み式のスピーカーから、とても小さい音でクラシックミュージックが流れている。
聞いた話によると、ここの所長がクラシック好きだかららしい。
この控えめな音のクラシックミュージックと、白いリノリウムの床のせいで病院にいるように錯覚することがある。
もちろん、四角い部屋の壁も白い。
最初にこの部屋に入った時、映画とかで観た精神病院棟を思い出した。
でも、のちにこの白には意味があると知る。

教官は時間ぴったりに入ってきた。
僕の座る机の前に立つと「えーと…」と言いながら僕の教習簿を確認する。
「あ、次の教習が仮免の試験だね。もう予約した?」
眠そうな顔で彼は言う。
僕は明後日に予約していることを伝えた。
「オッケー。そしたら、総括的にやっていきますか」
そう言うと、僕の教習簿を持って左隅の教卓までいく。
そこで机に備え付けられているボタンの操作をしている。
「じゃあ、仮免試験でやるコースでいくから、基本に注意しながらやってみて。微妙だったら、止めるから」
彼の言葉が響く中、天井からプラネタリウムのような機械が降りてくる。
普段は埋め込まれていて見えない。
僕は少し深めに息を吸う。
部屋の電気が消えたかと思うとすぐに明るくなる。
プラネタリウムのような機械の機能だ。
部屋が一瞬にしてファミレスの店内の風景になる。
この機能のために部屋全体が白い。
クラシックミュージックの代わりに、天井のスピーカーからはリアルなファミレスの音がする。
僕の目の前には、座った女性が立体的に映し出された。
教習で何度も見ている顔だ。
だからって「やぁ、元気?」とは言わない。
彼女の前にはチョコレートパフェ。
僕の前にはコーヒーカップ。
それぞれが浮かび上がり、実像のようにはっきりとしてくる。
さて、始まるぞ。
僕は相談に乗る準備をする。
まずは「落ち着いた笑顔」だ。
車の運転で言うと発信前の「後方確認」のようなものだろう。
これを忘れると大いに減点されてしまう。
『それでね、トウマったら返信の一つもくれないのよ?』
目の前の女性がいきなり話し出す。
急な飛び出しにも対応できるように、話の内容が分からないまま始まることがあるのだ。
「そうなんだ。いつ頃から?」
我ながら悪くない滑り出しだ。
『3日前。どう思う?そりゃ、私にも悪いところはあるけどさ』
嘘だ。
基本的に悪いと思っているやつは、チョコレートパフェなんて頼みはしない。
だが、僕は答える。
「いや、君だって十分反省しているんだし。3日も連絡を取らないのはひどい話だ」
彼女の気持ちを代弁する。
女性の相談に乗る場合は解決策を打ち出すよりも、気持ちに寄り添ってあげることが定石である。
教本の「女性の相談に乗る場合-彼氏または配偶者との喧嘩編-」にそう書いてある。
『やっぱり、そう思うよね!』
彼女はそう言ってパフェを一口食べる。
「うん。本当に、ひどい話だよ」
僕はそう答えてコーヒーをカップを口元に運ぶ。
同意。
ここはひたすら同意だ。
スピード違反をしちゃいけないのと同じで、上手く相談を乗りこなすにはペースを相手に合わせることが大事なのだ。

ここで、僕は思う。
思ったより緊張せずに冷静に相談に乗れている。
明後日の仮免試験は多分、大丈夫だろう。

 

つづく

『ノリたい!!』-10-


↓前回までの話↓

test003

ノリたい!! 10
Tagged on: