「僕の町」

 

14

食事を終えて店を出たあと、兄と子どもの頃のくだらない思い出を話して駅まで向かった。
兄は酔っているようだった。
僕はどういうわけか、そんなに酔っていなかった。
きっと、兄が言った「春に、サキちゃんと結婚するよ」という言葉が僕を酔わせてくれなかったんだよ、君。

帰りの電車を待っているとき、路線図を見て僕はLuLuのある駅を指差した。
兄はそれを見て「LuLuに行くのかい?」と言った。
僕は頷く。
一人になって、考え事をしたかった。
君にもそういうことはあるかい?
あるとするなら僕らに大きな差は無いね、君。
本当は知り合いが誰もいないところに行きたかったけれど、兄が心配してしまう。
LuLuなら安心してくるだろうと思ったんだ。
でも、もしかしたらダメと言われるかもしれない。
僕は町のパトロール以外、一人で出掛けることがとても少ないからだよ、君。
でも、兄は優しかった。
「分かった。先に帰っているね。あまり遅くなるなよ」
嬉しかった。
僕は大きく頷いた。
「俺はお前を子ども扱いしたくないんだ。どちらかというと、こっちが子どもみたいなもんだから」
酔っているせいか、兄はそう言って笑った。
僕には兄が大人にしか思えないから、その言葉はとても不思議だったんだよ、君。
君だって兄が子どもだとは思えないだろう?

僕がLuLuに行くために途中下車するとき、兄は手を降って「今日はありがとう」と言った。
僕も「ありがとう」の気持ちを込めてうんうんと頷いた。
改札を出たとき、いつもの癖で兄に電話をしそうになった。
「今日は仕事じゃないんだ」と思って、取り出しかけた携帯電話をポケットに戻した。
お月さまが出たあとにLuLuに行くなんて、初めてのことだ。
僕はワクワクした。
そして、レストランで聞いた兄の言葉について色々考えながら歩いた。
僕と兄を見下ろすお月さま。
僕と兄の生きる世界。
僕と兄が見る林檎は赤い。
兄とサキタさんの結婚。
僕の頭はそれらで満たされた。
でも嫌な気分ではなかったんだよ、君。

 

LuLuに入るとウェイターのナベヒロさんが僕を出迎えた。
彼は驚いた顔をしていた。
そりゃそうだよね、君。
僕が休みの日に来るなんて、ありえないことだから。
「ん!?なんだ、忘れ物とか!?」
ナベヒロさんは慌てていた。
すると奥からサキタさんが出てきて、「こんばんは。あれ、一人?」と兄を探すように目配せをしながら言った。
僕はうんうんと頷いた。
「もしかして、ワイン、飲みにきたの?」
サキタさんは笑顔で言った。
僕はまたうんうんと頷いた。
それを聞いて、ナベヒロさんは「珍しいな!まぁ、ゆっくりしていけよ。」と言ってくれた。
「それじゃあ、こちらへどうぞ。」と案内してくれたサキタさんが小声で「あの子も来ているわよ。」と僕に耳打ちした。
僕がサキタさんの顔を見ると、サキタさんもこっちを見ていて、その顔はにんまりとしていた。

あの子。
その言葉を聞いたとき、頭に思い浮かんだのは一人だけだった。
君も浮かんだろう?
彼女の名前が。
僕はとても嬉しくてドキドキしたんだよ、君。
そして、カウンターに行くと座ってたんだ。
ユリタニさんが。
彼女は僕の方を見ると「あれ、夜のパトロール?」と笑って言った。
僕は笑いながら「違うよ」と言うように首を振った。
それから僕は彼女の横に座った。

 

僕はね、君。
本当は考えなきゃいけなかったことがあったんだ。
兄の結婚のこと。
兄が結婚したあとの僕の生きる世界のこと。
大事なことだろう?
だから一人でゆっくり考えたかったんだよ。
お月さまの下で、ワインを飲んで。
でもね、ユリタニさんの顔を見たら全部どこかへ飛んでいってしまったんだよ。
君にもそういうことがあるかい?
あるならこの気持ちがどんなに素敵なことか分かるだろう、君。

とにかく、だからか知らないけれど、僕は初めて、仕事じゃない日にワインを飲んで、踊ったんだ。

 

 

「僕の町」  -14-  2013.2.3


Atco Sessions 1969-1972

僕の町 14
Tagged on: