『頭上のライク』

 

2

家に帰った。
マンション風のアパートメントがマイハウス。
エレベーターで4階に上がる。
エレベーターから出ると、そのまま左側に伸びる廊下を歩く。
405の部屋の前に立つ。
僕の家。
だけど、なんだかいつもと違う。
ゆるやかにくそないつもとはなんだか違う。
なんだろうか。
おっさんに出会ったせいだろうか。
うん。
そうに違いない。
頭の上に数字が並んでいたおっさん。
あの数字はSNSのように他人に「いいね」されるとカウントされるらしい。
「増えるけど、減るよ。ダメだ的なこと言われたら減るんだよ。陰口とかでもさ、減る」
おっさんはそうも言っていた。
知らないうちに減るのって嫌だな。
ていうか、その話を聞いてからずっと気になっていたんだけど、僕の頭上の数字は一体、いくらを表示しているんだろうか。
おっさん曰く、「自分のはな、鏡で見れる」とのことだ。
早く鏡が見たくて仕方ない。
だけど、その前に…。
僕はドアノブに鍵を差し込んで、捻る。
ガチャリと鍵が開く。
ドアを引く。
玄関に入ると、夕飯を作る音と匂いがした。
僕はいつもよりぎこちない「ただいま」を言ってから部屋に入っていく。
台所には彼女がいる。
嫁ではない。
彼女だ。
結婚を来年に控えているけれど、まだ、彼女だ。
「おかえり」
仕事用のブラウスの上にエプロンをした姿の彼女はそう言う。
僕は、どきどきしていた。
まだ、彼女の頭の上を見ていない。
一呼吸置いてから、よし!っと彼女の頭の上を見た。
「何よ?そんなところに突っ立ってないで、早く手洗ってテーブルの準備してくれない?」
「あ、あぁ」
僕は、鞄を自室に置くと、洗面所に向かった。

 

彼女の頭上の数字は596だった。
それは多いのか少ないのか分からないが、あのおっさんよりは少ない。
でも多分、あのおっさんはスゴいやつなんだ。
だって、高級腕時計をしていたし、それに見ず知らずの僕にさえ「いいね」してくるヤツだ。
多分、あれはレベルが高い。
そんなことよりも…。
僕は洗面所に立ったまま思った。
僕の、…僕の頭上の数字はいくつだ。
まだ、鏡を見ていない。
意識的に下を見たまま、手を洗う。
どきどきする。
彼女のを見るときよりもどきどきする。
当然だ。
これは、自分への評価なんだから。
手を洗い終わると、大きく息を吸い込んで目を閉じる。
それから、ゆっくりと鏡を見る。
見えた。
199。
それが僕の頭上にあった数字だ。
す、少ない。
自分では特に嫌われてるとかそういう感覚ないし、むしろ、割りと後輩とかにも慕われているような気がしていた、がしかし、少ない。
いや、…いや、待て、待てよ。
あのおっさんが神のレベルだとして、僕の彼女もあれだ、僕には勿体ないと豪語できるくらい美人だし、料理も上手いし、話を聞く限りだと仕事だって出来る。
だから、だから多分、数字が多いんだ、それにだ、それに、いつも僕が褒めているからだ。
というか、むしろそれだ!
それの賜物だ!
彼女と付き合って2年。
僕は「綺麗だね」とか「可愛いね」とか「料理おいしい」とか「可愛いね」とか「綺麗だね」とか、そりゃもう褒めてきた。
褒めちぎってきたと言っても過言ではない!
そうか。
僕のおかげじゃないか。
そうやって、安心したのも束の間。
「じゃあ、君は彼女に全然褒められてないんだね、ブサイクなんだね、料理下手なんだね、仕事できないんだね」
そんな言葉が天から降ってきた。

…。

駄目だ。
こんな事考えてたら生きていけない!!
おっさんは僕との別れ際言っていた。
「よく言うけどね、世の中には知らなくて良いことがたくさんあるように、見えなくていいこともまた然りなわけ。今から、生きにくくなるよ、若いの」
そういうことか。
僕は事の重大さに気付いたわけだ。
だけど、そもそも、そもそもね、僕はこの数字を見れないでいたら、自分の評価の低さに気付けなかったわけだ。
気付けた今、僕は思うわけだ。
あのおっさんの1238を越してやろうではないと。
僕はなんだか奮起してから、彼女の夕食の支度を手伝った。

 

思ったよりも甘くなかった。
さっきの決意のことだ。
1238を越してやるという、あれ。
彼女と向かい合って、ご飯を食べているわけだけど、目について仕方がない。
彼女の、598。
初め見たときは596だっから、いつの間にか2増えている。
僕は何も褒めていない。
つまり、だ。
どこかで誰かが彼女を褒めているというわけだ。
僕が2年間誉めちぎらなくても、自然とその数字は積み上がったのかもしれない。
なんだか、落胆しながら味噌汁を飲んだ。
旨い!
思わず、「旨い」と声に出していた。
その時、チャリーンと音がして彼女の頭上の数字は599になった。
「ありがと」
彼女は笑ってそう言った。
「その顔が好きなんだよなぁ」
そう思った時、また、チャリーン。
彼女の頭上の数字が600になった。
おや、切り番ゲットじゃ!
…いやいやいやいや、そうじゃない!
喜んでいる場合ではない。
喜んでいる場合ではないが、ここで分かったことがある。
本人を目の前にして褒めるとチャリーンとコインが加算されるような音が鳴って、遠くでの評価にはその音は鳴らない。
それから、SNSと違って同じ人からの「いいね」が有効らしい。
楽に加算されるわけだ。
…それなのに。
それなのに、僕の199って何?
どういうこと?
彼女にも褒められてないってこと?
ご飯なんて食べてる場合じゃない。
「そう言えばさ、」
僕が泣きそうになっているところで、彼女が言った。
「今日、ゴミ出しておいてくれたでしょ?気が利くね、ありがと!」
チャリーン。
僕は生まれてこのかた、人に褒められることがこんなに嬉しかったことはない。
さっきまでとは違う意味で泣きそうになった。

 

ご飯を食べ終わると居ても立ってもいられなくて、洗面所へ急いだ。
さっきので、頭上の数字が200になったはず!!
199と200の差は1でも、それはでかい!
鏡の前に立った、僕のその顔はすごく嬉しそうに笑っていた。
だがしかし、数字は199のままだった。
つまりあれだ。
彼女が「いいね」してくれた分、誰かがどこかで「ダメね」したわけだ。
僕はこの先を想像して、明日、目覚めたあと洗面所に立つことができるか不安になった。
いや、立ちたくない。
立ちたくないよ、ぐすん。
そこでまた思い出す。
おっさんの言葉。

「生きにくくなるよ、若いの」

おっさんよ、1238のヤバさを僕は今思い知ったよ。

 

 

『頭上のライク』-2-
2014.6.21


なぜこんなに生きにくいのか (新潮文庫)

頭上のライク 2
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