「海には行けないの」

 

6 マキガイ

「マキガイさん、女の子にはあまり多くを聞くものではないですよ」
波ちゃんはそう言った。
「確かにな、こりゃ失礼」
俺は笑いながらそう謝った。
それにしても、今日はちっとも当たらないな。
まぁ、別に休憩中にちらりとやっているだけだから、当たらなくても良いのだが。
波ちゃんの方はいつも調子が良いな、
魔法でも使っているんじゃなかろうか。
そう思いながら、波ちゃんの方を見ていると、「マキガイさん、私、使えませんよ、魔法なんて」と言われる。
とても良い微笑みでこちらを見ている。
本当に不思議な子だ。

 

バイトのコンブが厨房もこなせるようになってから、昼時を過ぎると趣味のパチンコに行けるようになった。
賭け事が好きというよりも、忙しい昼時を乗り切ったあとに、ぼーっと煙草を吸えるのが良いのだ。
そして、運が良けりゃ儲かる。
そこで知り合ったのが、波ちゃんだった。
その日、たまたま隣に座った波ちゃんは、パチンコのパの字も知らなくて、お金の投入からつまずいていた。
そこで、見てられなかった俺が口を挟んだのがきっかけだった。
それ以来、よく顔を会わすようになり、隣の席に着いて話すようになった。
一度、「何のお仕事をしているの?マキガイさんは」と聞かれたことがあった。
俺は「もう引退していて、時間を潰しているんだよ」と嘘をついた。
仕事の話をしてしまって、波ちゃんがうちに食べに来たりしてしまっては、嫌だったからだ。
波ちゃんとは、仕事とは違う次元のところで会っていたかったわけだ。
「どおりで、日中からパチンコなんてしているわけね」と言う波ちゃんに、「それはお互い様でしょうが」と言うと、波ちゃんはくすくすと笑った。

 

その日は「若いのにこんなに冷房の利いたところばかりにいては、勿体ない」という話になった。
そこで俺は、孫がいたらこんな気持ちかと思いながら、「海にでも行こうか?」と誘った。
誘ってから、事の重大さに気付いた。
俺は何を言ってるんだ?
相手は若い女で、パチンコ屋で会うだけの仲だぞ?
断られるに決まっているだろう。
しかし、波ちゃんは意外な断り方をした。
「海には行けないの、私」
「え?」
なんだろうか?
何か大きな病気でも患っているのだろうか。
でも、だとしたら、こんなに空気の悪いパチンコ屋なんかには来ないだろう。
他に海に行けない理由などあるだろうか。
そんな風に悩んでいると、「びょーきとか、そういうのではないんです」と波ちゃんが言った。
それで「それじゃあ、どうしてだい?」と聞いたところ、ぴしゃりと言われたわけだ。
「マキガイさん、女の子にはあまり多くを聞くものではないですよ」

 

だがしかし、その30分後に俺は、彼女を海へ連れ出す為に自転車の鍵を開けていた。
知らない人の自転車だ。
でも、窃盗では無い。
それは波ちゃんが証人だ。
何度も「盗みはしたくないな」と言う俺に「大丈夫、知り合いのだから、借りるだけです」と言う波ちゃんの、あの大きい黒目を疑う余地はない。

商店街の居酒屋の裏に置いてある自転車を波ちゃんのもとへ持っていく。
それが波ちゃんを海に連れていける条件だったのだ。

 

それにしても、何でこんなにたくさんの鍵が付いているんだ、この自転車は。
タイヤにはチェーン状の鍵が何本も巻き付いていた。
自転車の持ち主は、こんなにたくさんの鍵をじゃらじゃらと持ち歩いているのか!?
信じられないな。
この、何の変てつもない使い込まれた自転車のどこにそんな価値があるのか、さっぱりだ。
でも、とにかく、波ちゃんを海へ連れ出す為に、俺は頑張った。
昔、ガキだった頃、針金を駆使して色々な所の錠前を開けてきた経験がこんなところで役に立つとはな。
人生、分からんもんだ。
「カチャ」
安っぽい金属音と共に、最後の鍵が開いた。

 

 

「海には行けないの」-6-
2013.8.17


空の巻き貝

海には行けないの 6