「海には行けないの」

 

12 ホタテ

「ほら、ここにあるよ!」
太った少年が指差した先に、黒と黄色のしましま模様をした灰皿があった。
「あれがトラネコ皿だよ」
あれか。
確かにトラ柄だ。
よく、雷様が描かれるときに穿いているパンツの柄とも同じだ。
しかし、何のためにここにあるんだろう。
太った少年に聞いてみると、「知らない」と言った。
すると、長身の少年がぼそぼそと言った。
「猫に餌をあげるためのお皿だよ」
なるほど、それで、トラネコ皿か。
とりあえず僕は、ここまで案内をしてくれた三人の少年にお礼を言った。
キャップを被った少年が「行こうぜ!」と言うと、三人はそそくさと、走ってどこかへ行った。
改めて辺りを見てみる。
路地に入ったそこは商店街とは比べ物にならないくらい静かで、ひっそりとしていた。
トラネコ皿に視線を落とす。
無造作に放ってあるようにも思える。
一応、家の前にあるようだから、誰かの所有物なのだろう。
やはり勝手に持ち出すのは不味いだろうか。
不味いよな。
どうしようか。
でも、波野さんと海に行きたいしな。

 

考えた挙げ句、商店街にある100円ショップにいた。
そこで、アルミ製の灰皿とペイントマーカーを買った。
マーカーの色は青と白だ。
僕はそれを手にもう一度、トラネコ皿がある場所へ行った。
相変わらずひっそりとしていた。
そこでしゃがみこんで、アルミの灰皿にペイントマーカーで色を塗った。
波野さんがいつも立ち読みをしている海の写真集を思って、波の様子を描いてみた。
あまり絵は得意ではないが、悪くない出来だった。
僕はそれにアオナミ皿と名付けた。
ふと、目線を上げると、一匹の猫が少し離れた所から僕を見ていた。
なんとなく、トラ柄のような毛並みをした猫で、直感的に「あぁ、トラネコ皿は彼のものだな」と思った。
見付かっては仕方が無い。
こっそりと、トラネコ皿の代わりにアオナミ皿を置いて行こうと思っていたが、そうはいかないみたいだ。
僕は二つの皿を差し出して、少し離れた場所にいる猫に話しかけた。
「君、トラネコ皿とこのアオナミ皿どっちが良い?もしアオナミ皿を選ぶなら、トラネコ皿を僕に譲ってくれないかい?」

 

話の分かる猫で良かった。
僕は譲り受けたトラネコ皿を手に、商店街を歩いていた。
波野さんにこれを渡す前に、コーヒーでも飲もうか。
僕は行きつけのパシフィック・オーというカフェに行った。
店に入ると、注文のカウンターに並ぶ前に、トイレに行った。
石鹸を駆使しして、トラネコ皿を綺麗さっぱり洗ってから、手も洗う。
それから、注文をした。
僕はここでコーヒーを飲みながら青空文庫を読むのが、波野さんとの秘密の逢瀬の次に好きだ。
青空文庫とは、寄付された本のことだ。
コーヒー受け取りカウンターの横に本棚が設けられていて、そこに寄付された本が並んでいる。
僕も、何度か寄付している。
今日も、コーヒーを受け取った後、本棚を覗きこんだ。
お目当ての本を探す。
シリーズ物で寄付されたものがあって、その第5巻を読んでいる所だった。
6巻までの物語はいよいよ佳境で、続きが楽しみだった。
あれ?
見付からない。
5巻が見付からない。
6巻はあるのに。
4巻もあるのに。
何度探しても5巻だけが見付からない。
嘘だろ。
そうくるか。
僕は珍しく舌打ちをした。
肩を落として、席に着いた。
青空文庫は持ち出し自由だから仕方ないのだけれど、ため息しか出なかった。
もしかして、トラネコ皿を盗ってしまった祟りだろうか。
テーブルの上に乗っけてあるそれを見て思う。
苦いコーヒーを一口飲んだ僕は「もしそうだとしたら、益々、小説になりそうだ」と思いながら、その恐怖にほんの少しばかり震えた。

 

 

「海には行けないの」-12-
2013.8.23

海には行けないの 12