「僕の町」
4
いつもの時間に家を出た。
いつもの革靴。
いつものリュック。
もちろんパトロールのためだよ、君。
いつもと同じコンビニで、いつもと同じ野菜ジュースとパンを買う。
公園でそれを胃袋に入れる。
君は覚えているかい?
そうだよ、君。
パンを全部食べた後に野菜ジュースを飲むのさ。
その後はもう知っているだろう?
いつもの電柱の下に行く。
電柱から走る電線を見ると、いつもと同じ鳥が止まっている。
今日は4羽だ。
多い。
そして、僕は尋ねる。
「今日は何度傾いた?」
鳥は答える。
「大体2度くらいじゃないか?」
僕は電柱に両手をついて押した。
たった2度の傾きくらいだって舐めちゃいけないよ、君。
今日その2度を直さずに明日も2度傾いてしまったら、全部で4度の傾きになってしまう。
小さな油断が大きな敵さ。
電柱はサボるのが上手だということを、忘れちゃいけないよ、君。
今日はLuLuが休みだから、僕も兄も休みだ。
僕は時間に余裕を持てる。
だけど結局、いつもと同じ時間にパトロールを終えて家に帰った。
僕は、遅すぎるのも早すぎるのも苦手だからね。
玄関に、僕と兄以外の靴があった。
サキタさんのだ。
僕は嬉しくなって、リビングまで走った。
嬉しさのあまり叫びそうになるのは、なんとか我慢した。
リビングでは、炬燵に入った兄とサキタさんがみかんを食べていた。
二人は僕を見た。
兄より先にサキタさんが「お帰り」と言った。
二人とも笑顔だった。
僕はもともと喋れないけど、喋れてたとしても、その笑顔にうまく対応できなかったと思う。
君にもそういう時があるかい?
そうだとしたら、僕の考えもあながち間違っちゃいないだろ、君。
「今日、外食にしないか?サキちゃんも一緒に行くんだけど」
手洗いとうがいを済ませて、みかんを食べようとしている僕に兄が言った。
君は知らないだろうから教えてあげるよ。
例えば、僕が行きたくなくても僕は喋れないから上手い言い訳ができない。
つまり、「Yes」か「No」だけなんだ。
だから空気を読んで、こういうときは「Yes」と頷くしなかない。
だから僕は頷いた。
それを見てサキタさんは「決まりね」と笑った。
当然、僕も笑うんだよ、君。
何でって?
聞くまでもないだろう。
サキタさんが笑うからさ。
僕らは美味しくて楽しい時間を過ごした。
パトロールの時に見掛けていたレストランだったけど、僕は初めて来た。
兄とサキタさんは何度か来たことがあるみたいだけど、僕は喋れないからそのことについては、何も言えない。
もちろん、言うつもりもない。
なぜならこの店のワインは大人なヤツが多いからさ、君。
だから僕も大人になるんだよ。
それにしてもワインってやつはは、おいしいものだ。
僕はサキタさんと兄を二人きりにしてあげたかった。
トイレに行きたいという仕草を兄に伝えた。
もちろんこっそりね。
ここはレストランだから。
僕だって、大人なのさ。
大人になった、こんな僕を見たら、ぐるぐるキャンディに取り憑かれたママも目を覚ますだろうか。
いいや、今はそんなことはどうでもいい。
僕はトイレを済ませたあと、レストランの外に出た。
もう少し、二人に幸せになってもらってもいいだろう、君。
店の出口を出ると、広い駐車場になっている。
僕はそこで、星を見上げた。
ワインを飲んだせいか、楽しい気分。
踊りたかった。
でも、それが騒ぎになればサキタさんと兄に迷惑が掛かる。
それは避けたい。
君が知っている通り、僕は我慢が嫌いだ。
でも、我慢をするよ。
それが生きるということなんだから。
しばらく星を見上げていた。
すると「あ、」と声がした。
「ん?」と思って、空から目線を落とすと、少し離れたところに女の子がいた。
駐車場の明るすぎないオレンジ色の明かりが声の主を照らした。
このレストランの制服を着ている。
僕はそのまま、その女の子を見ていた。
「あなた、LuLuで働いているでしょう?」
女の子はこちらへ歩きながら言った。
僕は頷きもせず、段々と明らかになる彼女の顔を見ていた。
そして、「同じくらいの年だな」と思った。
僕はまだ彼女の質問に頷いていないのに、彼女は「話せないのは知っているわ。あの店に行く人なら大体知っているもの」と言った。
僕は「それは助かる」と思った。
だって、それを知らないとなると、僕は質問攻めに遭うだろうし、そうなると不安になってイライラしてしまう。
それくらい、君だって分かるだろう?
「あなた、ワインのこと、すごく詳しいよね」
彼女はもうほぼ目の前にいる。
綺麗だ。
そう思った。
「携帯電話、持ってる?良かったら番号教えてよ。あたし、ワインのこと知りたいの」
僕はそんなことを言われたけれど、不安になってイライラしたりはしなかった。
いつもなら知らない人に話しかけられると、叫びたくなってしまうのに。
彼女に見とれて、僕が頷きもしないでいると、彼女は「持ってない?ケータイ」と言った。
僕は慌てていつもと同じ、右前ポケットに入った携帯電話を取り出した。
「あるじゃん」
悪ガキがいじめられっ子に言う、それのような台詞だった。
なんだか少し笑えたんだよ、君。
僕はサキタさんと兄が座る席に戻った。
「遅かったな。大丈夫か?」
兄が言った。
サキタさんも心配そうにこっちを見る。
僕は何度か頷いた。
それを見て二人とも安心したようだった。
僕は喋れなくても嘘はつけるんだよ、君。
本当は大丈夫じゃないくらい、すごくドキドキしているのだから。
何でって?
分かっているだろ?
僕は女の子にケータイの番号を聞かれたんだ。
それも綺麗な女の子にだよ、君。
そりゃあ、いくら君だってドキドキするだろう?
「僕の町」 -4- 2013.1.24