「僕の町」

 

6

兄は、僕を一人にできないと言って、雨なのに僕をLuLuに連れ出した。
僕は雨の日はLuLuに行かないことになっているけれど、ぐるぐるキャンディの事があったから仕方がない。
サキタさんがLuLuを休んで、僕と留守番をしてくれると言ってくれたけれど、兄は「迷惑は掛けられない」と断っていた。
僕も兄の意見に同意した。
サキタさんにはあまり迷惑を掛けたくない。
君もそう思わないかい?
そう思ってくれるならワインを奢ろう。
サキタさんはもう十分すぎるくらい傷付いてくれたのだから。
喋れない僕のせいで。
だから、僕は好きじゃない雨をくぐってLuLuに行くことを我慢したんだよ、君。

 

僕はLuLuのカウンターに座って「グレート・ギャツビー」を読んでいた。
でも、頭の中には「ぐるぐるキャンディのせいだ」という言葉が走り回っていた。
兄に、仕事はしなくていいと言われていた。
「雨だからお客さんも少ないし」
こういうとき、兄に逆らってもいいことはないんだよ、君。
僕はそれを知っている。
だからとりあえず、ワインセラーの温度計に挨拶だけした。
「誰が大人になった?」
「そこの白いのだね。あとはそこの右端の赤もラストオーダーの頃にはいい感じだ」
「そうか。ありがとう」
そう言って、ワインセラーを出ようとしたけれど、もう一つだけ温度計に聞いた。
「僕はもうは大人になっているのかい?」
温度計はすぐに答えた。
「さぁね。でも、大人になったらすぐに飲まれちまうぜ?」
僕はその言葉の意味が分からなかったんだよ、君。
「グレイト・ギャツビー」の話くらい分からなかったんだ。
そんな難しいことを言えるなんて、さすが温度計だ。

 

僕が大人しくカウンターに座っていると、サキタさんがオレンジジュースとサンドウィッチを持ってきてくれた。
「食欲ある?」と言われて、僕は何度か頷いた。
それを見てサキタさんは「そう」と微笑んでくれた。
僕はサンドウィッチを食べた。
途中で兄も様子を見に来てくれた。
今日はやたらと手厚い対応だよ、君。
なんだか、偉くなった気分だ。

僕はサンドウィッチを食べ終えたあと、偉くなった気分を楽しみながら、カウンターで「グレート・ギャツビー」を読んでいた。
お客さんが入店する音がした。
カウンターに誰か座った。
カウンターには僕以外座っていなかったけれど、そのお客さんは割りと僕の近くに座った。
僕はあまり気にせず本を読んでいた。
すると、「あ、グレート・ギャツビー」と声を掛けられた。
僕が驚いて顔を上げて右側を向くと、この間、兄とサキタさんに連れて行ってもらったレストランの女の子がいたんだよ、君。
ケータイの番号を聞かれた女の子だ。
僕はとても驚いた。
君だってこんな状況なら驚くだろう?
もしそうなら僕はその倍くらい驚いてしまうんだよ、君。
彼女は、「隣に座っていい?」と笑って尋ねてきた。
彼女の入店に胸をドキドキさせていた僕には、断る理由がなかった。

 

彼女は、一方的に話していた。
「当然だ」と君は思うだろう。
僕は喋れないのだから。
でも、僕にはこの状況は不思議だったんだよ、君。
サキタさん以外の女の人が僕に話しているなんて、奇跡に近い。
「あれ、今日はワイン飲まないの?」
僕は頷く。
「残念」
僕は頷く。
「グレート・ギャツビー、意味分かるの?」
僕は首を振る。
「だよね。あたしも分からない。良かった仲間がいて」
僕は頷く。
あまり実のない会話が続いた訳だけど、僕はそれが嬉しかった。
そのおかげで、僕の頭の中を走っていた「ぐるぐるキャンディのせいだ」という言葉はなくなったんだよ、君。

途中で兄が様子を見に来た。
当然だ。
僕が他の一般人と席を隣り合わせにしているなんて、滅多にないのだから。
しかも、相手は女の人だ。
彼女は兄に自己紹介をしていた。
彼女の名前は、ユリタニさんという。
そういえば、僕も彼女の名前を知らなかった。
彼女は最後に「ワインの勉強がしたくて」と兄に説明していた。
兄は「若いのにすごいね」と笑っていた。
僕はそれを聞いて、なんとなく「そうか。そういうことだったのか」と思ってしまったんだ。
何に期待をしていたんだろうか。
僕にケータイの番号を聞くなんて、普通に考えればおかしいことは分かっただろ?
今まで、そんなこと一度もなかったんだから。
僕は何かに期待していた自分にイライラした。
叫びそうだった。
君にもこういうことがあるかい?
あるならそれは「生きてる」ということなのかな、君。

 

 

「僕の町」  -6-  2013.1.26


グレート・ギャツビー

僕の町 6
Tagged on: